脳の萎縮(脳萎縮症)とは、神経細胞(ニューロン)やその接続(シナプス)が減少することによって脳の体積や重量が低下する病態を指す。脳萎縮は、加齢に伴って自然に生じる部分もあるが、特定の病気や外的要因によって進行が加速する場合もある。脳萎縮の症状は原因や進行の程度により大きく異なるが、共通して現れる臨床症状や認知機能の変化を理解することは、早期発見と適切な治療への第一歩である。
記憶障害
記憶力の低下は、脳萎縮の最も顕著で初期に現れやすい症状のひとつである。短期記憶の障害が先行し、たとえば「今話した内容を覚えていない」「物を置いた場所をすぐに忘れる」などのエピソードが頻発する。進行するにつれ、長期記憶にも影響を及ぼし、家族や友人の名前を忘れる、自身の過去の経験が曖昧になるといった症状も現れる。

認知機能の低下
脳萎縮が進行すると、判断力、注意力、集中力、抽象的思考力など、いわゆる「認知機能」が全体的に低下する。日常生活では、次のような行動がみられるようになる。
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金銭管理が困難になる
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複数の作業を同時にこなすことができなくなる
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会話中に言葉を選ぶのに時間がかかる
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道に迷う、予定を忘れるなどの混乱
言語障害(失語)
脳萎縮が言語に関連する領域(たとえば左側頭葉や前頭葉)に及ぶと、言語理解や表出に支障をきたすことがある。典型的な症状には以下が含まれる。
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単語が思い出せない(喚語困難)
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言葉が出てこない
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文法的な文章が組み立てられない
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他人の話を理解するのに時間がかかる
失語の種類によっては、自発的な会話ができなくなることもある。
運動機能障害
脳の運動を司る領域(一次運動野、小脳、基底核など)が萎縮する場合、運動機能の障害が生じる。代表的な症状には以下が挙げられる。
症状 | 説明 |
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歩行困難 | バランスを保てず転倒しやすくなる |
筋力低下 | 手足に力が入らない、持ち上げられない |
震え(振戦) | パーキンソン病のように静止時に震えが現れる |
筋肉のこわばり | 関節の動きが悪くなる、ぎこちない動作 |
感情の変化と精神症状
脳の萎縮は感情のコントロールにも影響を与える。特に前頭葉の萎縮がある場合、情緒不安定、衝動性、社会的抑制の欠如などが目立つようになる。また、次のような精神症状も多く報告されている。
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抑うつ状態(気分の落ち込み、意欲低下)
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被害妄想
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幻覚(特にレビー小体型認知症など)
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睡眠障害(昼夜逆転、過眠、入眠困難)
これらの症状は本人だけでなく、家族や介護者にとっても大きなストレスとなる。
視空間認知の障害
特に後頭葉や頭頂葉の萎縮が関係する場合、視覚と空間に関する認知が障害されることがある。このような状態では以下のような行動が見られる。
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物を見つけることが困難になる
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距離感や立体感がわからない
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絵や地図の理解ができなくなる
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服をうまく着られない(ドレッシングアパクシア)
このような症状は日常生活の自立性を著しく損なう要因となる。
嗅覚・味覚の変化
初期のアルツハイマー型認知症や他の変性疾患では、嗅覚の障害が非常に早期に現れることが報告されている。香りを感じにくくなり、食べ物の味も分からなくなるなど、食欲不振や栄養状態の悪化にもつながる。
自律神経系の異常
脳幹部や視床下部の萎縮が進行することで、次のような自律神経系の症状が現れる。
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体温調節の異常(発汗過多、寒がりなど)
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血圧の変動(起立性低血圧など)
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心拍数の不整
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排尿障害、便秘
これらはしばしば見過ごされやすいが、生命予後に大きく関わる場合がある。
特殊なタイプによる症状の違い
脳萎縮には、原因や進行部位によりさまざまなタイプがある。たとえば以下のような病型がある。
アルツハイマー型認知症
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初期:記憶障害
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中期:言語障害、判断力低下
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末期:全般的な認知機能低下、寝たきり
前頭側頭型認知症(ピック病)
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初期:性格変化、社会的逸脱行動
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中期:言語消失、常同行動
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特徴:記憶は比較的保たれることもある
血管性認知症
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症状が段階的に進行
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歩行障害、局所的な神経障害が目立つ
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脳梗塞や微小出血との関連が強い
進行性核上性麻痺(PSP)
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垂直方向の眼球運動障害
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バランス障害による転倒
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感情の平板化(感情表現の乏しさ)
進行のスピードと予後
脳萎縮の進行速度は疾患の種類により異なるが、一般的に神経変性疾患は緩徐進行性である。一方、脳血管障害や外傷などが原因の場合は急速に悪化することがある。以下に代表的な予後の違いを示す。
疾患 | 進行速度 | 平均発症年齢 | 特徴 |
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アルツハイマー病 | 徐々に進行 | 65歳以降 | 記憶障害から始まる |
血管性認知症 | 段階的に進行 | 60歳以降 | 脳梗塞の既往歴あり |
前頭側頭型認知症 | 比較的早い | 50〜60歳 | 性格変化が顕著 |
画像診断における脳萎縮の確認
CTやMRIによって脳の萎縮の程度や部位が客観的に評価できる。とくにMRIでは、灰白質や白質の減少、側脳室の拡大、脳溝の拡張などが確認される。また、機能的画像診断(SPECTやPET)では、血流や代謝の低下領域が可視化される。
まとめ
脳萎縮は、多くの原因によって引き起こされうる複雑な病態であり、その症状は実に多岐にわたる。記憶や認知、言語、運動、感情など、あらゆる脳機能に影響を及ぼし、本人だけでなく家族や介護者にとっても大きな課題となる。早期に症状を察知し、専門医の診断を受け、必要に応じたリハビリテーションや薬物療法を導入することが、生活の質を保つ上で極めて重要である。
参考文献
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厚生労働省. 認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン).
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日本神経学会. 認知症疾患診療ガイドライン.
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岡田尊司. 『脳の老化を止める本』. 幻冬舎.
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日本認知症学会. 「前頭側頭型認知症の診療指針」.
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小阪憲司. 『アルツハイマー病の真実』. 日本評論社.