アメリカ合衆国における選挙は、その民主主義の象徴的な要素であり、特に大統領選挙は世界中の注目を集める一大イベントである。これまでの歴史の中で、いくつかの選挙は圧倒的な勝利によって記憶されており、候補者が前代未聞の支持を受けて選ばれたこともある。本稿では、アメリカ大統領選挙史上「最も大差で勝利した選挙」、つまり「選挙人票(Electoral Votes)」および「一般投票(Popular Votes)」の差において圧倒的だった10の事例を包括的に検証する。
第1位:リチャード・ニクソン(1972年)
1972年の大統領選挙において、共和党のリチャード・ニクソン大統領は民主党のジョージ・マクガヴァンに対して歴史的な勝利を収めた。ニクソンは50州のうち49州を制し、選挙人票は538票中520票を獲得した(マクガヴァンはわずか17票)。一般投票でも約18ポイント差をつけ、約61%の票を得た。
この選挙は「アメリカ人がいかに現職に信頼を置いたか」を示すものであり、外交政策や経済政策の安定に対する支持が表れた形だった。しかし、その後ウォーターゲート事件によりニクソンは辞任を余儀なくされることとなる。
第2位:フランクリン・D・ルーズベルト(1936年)
世界恐慌のさなか、ニューディール政策を推進したルーズベルトは1936年に共和党のアルフレッド・ランドンを相手に圧勝した。選挙人票は531票中523票(98.5%)を獲得し、これは今なお史上2番目の記録である。
一般投票でも60.8%という高得票率を記録し、国民の圧倒的な支持を得て2期目に突入した。この勝利は「大恐慌からの回復に対する期待」と「政府の経済介入に対する容認」が背景にあった。
第3位:ロナルド・レーガン(1984年)
1984年の選挙では現職のロナルド・レーガン大統領が民主党のウォルター・モンデールに対し、選挙人票を525対13という圧倒的な差で勝利した。50州中49州を制し、レーガンの一般投票シェアは58.8%にのぼった。
この勝利は経済の回復、「モーニング・イン・アメリカ」というスローガン、そして強いアメリカを打ち出す外交姿勢が国民に受け入れられた結果であった。
第4位:リンドン・B・ジョンソン(1964年)
ケネディ大統領の暗殺後、副大統領から昇格したジョンソンは、1964年の選挙で共和党のバリー・ゴールドウォーターに対して大差で勝利した。選挙人票は486対52、一般投票では約61%の得票率を記録した。
ジョンソンの「偉大な社会(Great Society)」政策は教育、医療、公民権など広範囲にわたる改革を目指しており、その積極的なビジョンが評価された。なお、この選挙はアメリカ史における公民権運動の影響が強く反映された一戦でもある。
第5位:リチャード・ニクソン(1960年敗北→1972年圧勝)
1972年の選挙が単独で1位に挙げられることが多いが、ニクソンの政治的カムバックという観点から、1960年の敗北と1972年の勝利を対照的に捉えるのも興味深い。1960年にはジョン・F・ケネディに僅差で敗れたニクソンだが、12年後には史上最大級の圧勝を遂げた。この事例は「アメリカ政治における復活劇」の象徴とされる。
第6位:ジェームズ・モンロー(1820年)
1820年の選挙は、連邦党が事実上崩壊していたため、ジェームズ・モンロー大統領がほぼ無投票で再選された。選挙人票は231票中、228票を獲得。一般投票の記録は限定的だが、事実上の無敵状態での勝利であった。
唯一の反対票は「ワシントン以外の者が全会一致で選ばれるのを避けるため」という理由だったと言われており、モンローの勝利は歴史的象徴性をもつ。
第7位:トーマス・ジェファーソン(1804年)
1804年の大統領選挙では、初めて12修正条項が適用され、選挙制度が安定期に入った。ジェファーソンは162票中162票を獲得し、対立候補である連邦党のチャールズ・C・ピンカニーに圧勝した。一般投票は一部州のみで実施されたが、全国的な支持を得ていた。
この選挙では、民主共和党の政治的基盤の確立と、連邦党の衰退が背景にある。
第8位:カルビン・クーリッジ(1924年)
1924年の選挙では、共和党のカルビン・クーリッジが民主党のジョン・W・デイヴィス、そして進歩党のロバート・M・ラフォレットを相手に選挙人票で382票を獲得し圧勝した。
一般投票の得票率では54%と、他の事例に比べてやや低めではあるが、三者対決での過半数超え、しかも選挙人票で圧倒的優勢という点で「大勝」と評価されている。
第9位:ドワイト・D・アイゼンハワー(1956年)
1956年の再選選挙では、アイゼンハワーが民主党のアドレー・スティーブンソンを相手に457対73という選挙人票差で勝利。一般投票でも57.4%の得票率を記録し、軍人出身としてのリーダーシップが評価された。
この選挙では、朝鮮戦争後の平和と経済安定が主な争点であり、国民は現状維持を選んだ。
第10位:バラク・オバマ(2008年)
2008年の選挙におけるバラク・オバマの勝利は、選挙人票ではそれほど極端ではなかった(365対173)ものの、一般投票で7%以上の差をつけた。この選挙はアメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人大統領が誕生したという意味で画期的であり、希望と変革を掲げたキャンペーンが若者を中心に支持を集めた。
「Yes We Can」というスローガンと共に、世界中がこの勝利に注目した。
表:アメリカ大統領選挙における歴代最大勝利(選挙人票ベース)
| 順位 | 年 | 候補者(政党) | 選挙人票獲得数 | 対立候補 | 差(票数) | 州の獲得数 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1972 | リチャード・ニクソン(共和) | 520 | ジョージ・マクガヴァン | +503 | 49/50 |
| 2 | 1936 | フランクリン・D・ルーズベルト(民主) | 523 | アルフレッド・ランドン | +515 | 46/48 |
| 3 | 1984 | ロナルド・レーガン(共和) | 525 | ウォルター・モンデール | +512 | 49/50 |
| 4 | 1964 | リンドン・B・ジョンソン(民主) | 486 | バリー・ゴールドウォーター | +434 | 44/50 |
| 5 | 1820 | ジェームズ・モンロー(民主共和) | 228 | 無所属 | +228 | 24/24 |
| 6 | 1804 | トーマス・ジェファーソン(民主共和) | 162 | チャールズ・ピンカニー | +102 | 全州 |
| 7 | 1924 | カルビン・クーリッジ(共和) | 382 | デイヴィス / ラフォレット | +220 | 35/48 |
| 8 | 1956 | ドワイト・D・アイゼンハワー(共和) | 457 | スティーブンソン | +384 | 41/48 |
| 9 | 2008 | バラク・オバマ(民主) | 365 | ジョン・マケイン | +192 | 28/50 |
| 10 | 1904 | セオドア・ルーズベルト(共和) | 336 | アルトン・パーカー | +196 | 32/45 |
結論
これらの選挙結果からわかることは、アメリカ国民が圧倒的な信頼を寄せた候補者には明確なビジョン、実績、または時代背景に適応
