アルツハイマー病(Alzheimer’s disease)は、進行性の神経変性疾患であり、主に高齢者に発症し、認知機能や記憶力、思考能力、行動に重大な影響を及ぼす。この疾患は、日常生活に必要な機能を徐々に損ない、患者本人のみならず、家族や介護者にとっても深刻な問題となる。アルツハイマー病の初期には、しばしば加齢に伴う自然な物忘れと混同されやすいが、進行とともに明確な臨床的特徴が現れる。本稿では、アルツハイマー病に関連するあらゆる症状を、段階別・体系的に解説し、医学的知見と臨床報告に基づいた包括的な視点を提供する。
初期症状:記憶障害と認知機能の低下
アルツハイマー病の初期段階では、最も顕著な症状は「短期記憶障害」である。患者は最近起こった出来事や、日常的な予定を忘れやすくなる。たとえば、数分前にした会話の内容を思い出せない、鍵や財布などを置いた場所を頻繁に忘れる、同じ質問を何度も繰り返すといった行動が見られる。

加えて、「言語機能の低下」も初期の兆候のひとつである。適切な単語が思い出せず、会話が途切れがちになる。日常会話の中で、「あれ」「それ」などの曖昧な言葉が多用され、複雑な文章の理解にも時間がかかるようになる。
「注意力の低下」や「判断力の低下」も見逃してはならない初期症状である。買い物で金額の計算を間違える、日常生活で些細な判断ミスを繰り返すなどの行動が増える。
中期症状:行動変化と空間認識障害
病気が進行する中期段階では、より深刻な認知障害が出現する。患者は「時・場所・人物の見当識障害」に陥る。つまり、自分がどこにいるのか、今が何時なのか、誰と一緒にいるのかが分からなくなる。
「迷子になる」という行動もよく見られる。たとえば、近所のスーパーに行った際に帰り道が分からなくなったり、何の目的で外出したのかが分からなくなったりする。これは「空間認識能力」の低下によるものである。
この段階では、「感情の起伏が激しくなる」ことや「被害妄想」が見られるようになる。家族や介護者に対して怒りを爆発させたり、自分の持ち物が盗まれたと訴えたりすることもある。また、以前には見られなかった「うつ症状」や「不安感」、「意欲の喪失」も顕著になる。
「日常生活動作(ADL)の障害」も進行し、衣類の選択や着替え、料理、掃除といった複雑な作業が困難になる。この段階では、介護者の支援が欠かせない。
後期症状:身体機能の衰退と完全介護状態
アルツハイマー病の末期段階では、認知機能の著しい低下に加え、身体的な機能も深刻に損なわれる。患者は言葉を話すことがほとんどできなくなり、表情や動作による意思疎通も困難になる。
「嚥下障害」により、食事を飲み込むことが難しくなり、誤嚥性肺炎のリスクが高まる。「排泄機能」のコントロールも失われ、失禁が常態化する。「筋力の低下」によって歩行が困難になり、やがては寝たきりの状態となる。
この段階では、24時間の完全介護が必要となる。医療機関や施設でのケアが必要になる場合も多く、家族だけでの対応には限界がある。
精神症状と行動症状(BPSD)
アルツハイマー病の特徴として、「認知症に伴う行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia:BPSD)」が挙げられる。これは、病期にかかわらず現れる可能性があり、以下のような症状を含む:
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幻覚(存在しない人物や音が見える・聞こえる)
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妄想(物が盗まれた、誰かに殺されるなどの思い込み)
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興奮(大声を出す、暴力的になる)
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抑うつ(落ち込んで何もやる気が起きない)
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徘徊(目的もなく歩き回る)
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睡眠障害(昼夜逆転、不眠)
これらの症状は、患者だけでなく介護者にも大きな心理的負担をもたらすため、適切な医療的対応や薬物治療、介護技術の導入が不可欠である。
表:アルツハイマー病の症状と進行段階
症状カテゴリ | 初期 | 中期 | 後期 |
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記憶 | 物忘れ | 昔の記憶にも混乱 | 自分の名前も分からない |
言語 | 単語が出てこない | 会話が不明瞭になる | 話せなくなる |
判断力・理解力 | 簡単な判断ミス | 理解力の著しい低下 | 理解不能 |
日常生活動作(ADL) | 軽度の支援が必要 | 介助が必要 | 完全介助 |
行動 | 同じ話を繰り返す | 徘徊、妄想 | 無動状態 |
身体機能 | 正常 | 徐々に筋力低下 | 寝たきり、嚥下障害 |
精神症状(BPSD) | うつ状態、不安感 | 幻覚、興奮、睡眠障害 | 無反応、感情表現の消失 |
認知機能検査と診断基準における症状の捉え方
アルツハイマー病の診断は、主に以下のような認知機能検査によって行われる:
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MMSE(Mini-Mental State Examination)
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ADAS-Cog(Alzheimer’s Disease Assessment Scale – Cognitive)
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時計描画テスト
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長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)
これらの検査では、記憶、注意、言語、視空間認識、抽象的思考などの認知機能が評価され、点数に応じて障害の程度が判断される。特にMMSEでは30点満点中、23点以下が軽度認知障害、20点以下で中等度、10点以下で重度と評価される。
まとめと今後の展望
アルツハイマー病の症状は多岐にわたり、進行とともに生活のあらゆる側面に影響を及ぼす。記憶障害から始まり、言語・行動・身体機能にまで広がるこの疾患は、単なる「老化」の一部ではなく、明確な病理を持つ神経疾患である。
日本においても高齢化の進展に伴い、認知症患者数は増加の一途をたどっている。厚生労働省によると、2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になると推定されており、社会全体での理解と対応が求められる。
したがって、アルツハイマー病の症状を正確に理解し、早期発見・早期介入を実現するためには、医療従事者だけでなく、一般市民、家族、地域社会全体の教育と啓発が必要不可欠である。
参考文献:
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厚生労働省「認知症施策の現状」
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日本認知症学会「認知症の診療ガイドライン」
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World Health Organization (WHO), “Dementia Fact Sheet”
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Alzheimer’s Association, “2023 Alzheimer’s Disease Facts and Figures”
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国立長寿医療研究センター「認知症の症状と対応」
キーワード:アルツハイマー病, 症状, 初期認知症, 記憶障害, BPSD, 行動心理症状, 徘徊, 妄想, 言語障害, 身体機能の低下, 高齢者ケア, 認知機能検査, MMSE, 認知症の進行段階, 医療的対応, 日本の高齢化社会