イスラム教徒がイベリア半島(現在のスペインとポルトガル)を支配した期間は、約800年にわたりました。この時期は「アルアンダルス」として知られ、711年から1492年まで続きました。この長期間にわたる支配は、政治的、文化的、宗教的に多くの変化をもたらしました。ここでは、その歴史を詳細に説明します。
アンダルスの始まり
711年、ウマイヤ朝の将軍タリク・イブン・ジヤードは、モロッコからジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島に侵入しました。この軍事的遠征は、ウマイヤ朝の支配下にあるアフリカからの支配が西ヨーロッパに及ぶ重要な出来事でした。彼の軍は、ゴート王国の王ロデリックをトトシル川の戦いで打ち破り、ほぼ全てのイベリア半島を支配下に置きました。この出来事をもって、イスラムの支配が始まったとされます。

初期のアンダルス
最初の数十年の間に、アンダルスの支配は急速に拡大しました。711年から750年まで、ウマイヤ朝の支配が強化され、アンダルスはイスラム世界の重要な一部となりました。特に、ウマイヤ朝のカリフ、アブド・アル・ラフマーン1世(在位: 756年–788年)は、ウマイヤ朝が倒された後、アンダルスでの独自の王国を確立し、政治的安定と経済的発展を促進しました。
アンダルスの支配者は、イスラム教徒としての信仰を尊重しつつも、キリスト教徒やユダヤ教徒などの宗教的少数派に対して寛容でした。この寛容政策は、アンダルスが多様な文化と宗教を共存させる社会を築く礎となり、後の「黄金時代」として評価されます。
黄金時代と文化的繁栄
アンダルスは、特にコルドバ、セビリア、グラナダなどの都市で文化的に繁栄しました。コルドバは、8世紀から10世紀にかけて、世界でも最も洗練された都市の一つとして栄え、科学、哲学、医学、文学、そして建築において多くの成果を上げました。コルドバの大モスクは、その時代の建築の象徴として世界的に知られています。
また、アンダルスでは、アラビア語が学問や科学の言語として使用され、数学、天文学、医学、化学などの分野で数多くの重要な発見がありました。例えば、アル・ゼハラウィー(アラビア名: アビ・アル・カシム)は、外科手術の分野で革新をもたらし、アヴィケンナ(アヴィセンナ)は医学と哲学の領域で広く知られています。
さらに、アンダルスの商業と工業も発展し、シルク、革製品、陶器、織物などが広範囲に取引されました。これらの発展は、地域の経済と文化の繁栄を支えました。
レコンキスタとアンダルスの衰退
しかし、アンダルスの支配は永遠ではありませんでした。11世紀になると、アンダルスのイスラム王国は分裂し、各地に小さな王国(タファ)に分かれました。この時期、キリスト教徒による「レコンキスタ(再征服)」運動が本格化し、北部のキリスト教王国は徐々に南下し、アンダルスの領土を取り戻していきました。
特に、12世紀から13世紀にかけて、ナスリッド朝(グラナダ王国)が最も重要なイスラム王国として存続しましたが、1492年にカトリック両王(イサベルとフェルナンド)によるグラナダの征服によって、アンダルスのイスラム支配は終了しました。この時、グラナダ王国は正式にキリスト教徒の支配下に入り、アンダルスの時代は幕を閉じました。
まとめ
イスラム教徒が支配したアンダルスの時代は、単なる軍事的征服にとどまらず、文化的、学問的な発展を生み出し、後のヨーロッパの発展にも影響を与えました。イスラム支配下のアンダルスは、宗教的寛容、学問的栄光、そして多様な文化が交わる場所でした。その影響は、今日の西欧文化や科学、哲学にまで広がっています。