『キリラとダムナ』の起源は、インドの古典文学に深く根ざしています。この作品は、もともと「パンチャタントラ(Panchatantra)」というインドの物語集から派生しています。「パンチャタントラ」は、紀元前3世紀から5世紀の間に成立したと考えられており、インドの学者ビーダパ(Vishnu Sharma)が王子たちに教訓を与えるために編纂したとされています。この物語集は、動物たちが登場する寓話を通して、政治や社会の知恵を伝えることを目的としていました。
インドからペルシャへ
「パンチャタントラ」の物語は、インドで長い間口承文学として伝えられましたが、次第にその影響は他の地域にも広がりを見せました。特に、ペルシャにおいて大きな影響を与えました。ペルシャでは、「パンチャタントラ」を翻訳し、独自の形で発展させたものが「キリラとダムナ」になります。このペルシャ語の翻訳は、6世紀頃に成立したとされ、名は「カリラ・ウア・ディムナ(Kalila wa Dimna)」として知られています。この名は、物語に登場する2匹の動物、キリラ(ジャッカル)とダムナ(ジャッカルの兄弟)から取られています。

ペルシャ語での翻訳は、インドの教訓をより一層洗練させ、ペルシャ文学のスタイルに適応させました。ペルシャ語版は、当時の王族や貴族の教育的な目的にも使われるようになり、広く受け入れられました。この翻訳の中で、物語は単なる動物の寓話にとどまらず、深い政治的、倫理的なテーマを扱うようになりました。
アラビア語への翻訳とその拡大
「キリラとダムナ」がペルシャで広く読まれるようになると、この作品はさらにアラビア語に翻訳され、アラビア文化圏にも浸透しました。8世紀頃、アラビアの学者であるアブ・マハフザ(Abu Mahfuz)が「カリラ・ウア・ディムナ」をアラビア語に翻訳し、その内容をさらに発展させました。アラビア語における翻訳もまた、原作に多くの変更を加え、よりアラビア社会や文化に即した形で物語を再構成しました。アラビア語版は、政治的な知恵や統治に関する教訓を強調し、アラビア文学の一部として広まりました。
ヨーロッパへの伝播
「キリラとダムナ」は、アラビア語からラテン語や他のヨーロッパの言語へと翻訳され、西洋にも大きな影響を与えました。12世紀、アラビア語の翻訳がラテン語にされ、そこからヨーロッパ全体に広がりました。この時期の翻訳者は、アラビア語の「カリラ・ウア・ディムナ」をラテン語に移し、その後フランス語やイタリア語に翻訳されました。この影響は、特に中世の西洋文学において顕著で、さまざまな寓話的な作品に触発を与えました。
日本への影響
日本における「キリラとダムナ」の直接的な影響は比較的遅れて現れましたが、インドやペルシャ、アラビア文化に基づく故事や教訓が、日本の伝統文学にも影響を与えていることは否定できません。日本の寓話や教訓を重んじる文学には、「キリラとダムナ」の影響が色濃く反映されています。
結論
「キリラとダムナ」は、インドの「パンチャタントラ」に起源を持ちながらも、ペルシャ語、アラビア語を経て西洋に広まり、その後世界中の文化に影響を与えた重要な文学作品です。その物語は、動物たちの行動を通して人間社会の政治的・倫理的な教訓を伝えるものとして、古代から現代に至るまで多くの読者に親しまれてきました。