シャルル10世(Charles X)は、フランス王国の最後のブルボン朝の君主であり、フランス革命後の復古王政時代に即位した王です。彼は、フランス革命によって崩壊した王政を再建しようとしたが、その専制的な政治姿勢と失策が、フランス国内での反発を招き、最終的にはフランス革命の第二波である1830年の七月革命により退位し、王位を失いました。
シャルル10世は、1757年に生まれ、ブルボン家の王族として育ちました。彼はフランスの前王ルイ15世の孫であり、父親はルイ16世の兄弟であるブルボン公シャルルであり、フランス革命のさなかに王家が危機的な状況に陥ると、彼は王位継承権を持つ立場になりました。

即位と政治
シャルル10世は、1824年に兄であるルイ18世が死去した後、フランス王として即位しました。彼の即位後、復古王政は強化され、絶対主義的な政策を追求するようになりました。シャルル10世は、革命前のブルボン家の権威を取り戻すことを目指し、数々の改革を進めました。特に、彼はカトリック教会と深い関係を築き、教会の権力を強化しました。
その一方で、シャルル10世は経済改革や社会政策には消極的であり、特に都市部の労働者や商人層の不満を買いました。また、彼の政策は、立憲主義的な改革を支持する市民層との対立を深め、次第に王政に対する反感が高まっていきました。
七月革命と退位
シャルル10世の支配は、次第に国民の反発を招きました。特に1830年、シャルル10世が発令した「7月 ordinances(七月令)」は、議会の権限を制限し、選挙法を変更して有権者を大幅に減少させ、さらに報道機関を厳しく統制するものでした。このような専制的な措置は、フランス国内で激しい反発を引き起こし、結果として七月革命が勃発しました。
革命が勃発すると、パリ市民は王政に対して蜂起し、シャルル10世は王位を放棄せざるを得なくなりました。彼は1814年に一度退位したルイ16世のように国外へ亡命し、最終的にはイギリスへ移住しました。シャルル10世の退位により、ブルボン朝は終焉を迎え、代わってオルレアン家のルイ・フィリップが即位し、七月王政が始まりました。
シャルル10世の遺産
シャルル10世は、その短い統治期間中に政治的な失敗を重ね、フランス革命の後遺症を完全に払拭することができませんでした。彼の専制的な政治スタイルは、フランスにおける王政復古の試みが民衆の支持を得ることが難しいことを示しました。そのため、シャルル10世はフランス史上、あまり評価されることのない王の一人となりました。
シャルル10世が退位後、フランスは新たな政治体制として立憲君主制から共和制へと向かうことになりますが、彼の統治はその後のフランス革命の進展に大きな影響を与えました。シャルル10世の専制的な政策とその失敗は、後のフランス革命運動における重要な教訓となり、民主的な政治体制への道を開くきっかけとなったのです。
シャルル10世は、亡命生活を送りながらも、フランスの王政に対する強い愛情を示し続けましたが、最終的にはフランスに戻ることなく1844年に亡くなりました。彼の死は、フランス革命後のブルボン家の終焉を象徴する出来事として記憶されています。