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シル・バニ・ヤス島の奇跡

アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビから約170キロメートル西に位置する「ジュヌーブ(جنوب)」地方に浮かぶ島、**シル・バニ・ヤス島(Sir Bani Yas Island)**は、中東における環境保護とエコツーリズムの象徴とも言える存在である。この島は、その壮大な自然、豊かな動植物、そして歴史的・文化的な遺産によって、訪れる人々を魅了してやまない。人工的に整備された観光施設ではなく、島そのものが生きた自然の博物館であることが、シル・バニ・ヤスの最大の特徴である。

島の成り立ちと地理的特性

シル・バニ・ヤス島は、アラビア湾(ペルシャ湾)の南西部に位置し、UAE最大の自然島として知られている。面積は約87平方キロメートルで、東京23区のおよそ5分の1の広さに相当する。島は約1000万年前の地質活動によって形成された石灰岩の台地で、乾燥地帯特有の地形を有しているが、保全活動によって緑豊かなオアシスのような景観が形成されている。

かつては漁業や真珠採取で生活していた人々が居住していたが、現在では人口の大部分は保全活動関係者や観光事業従事者で占められている。島には舗装道路が整備され、電力・水道・通信といったインフラも完備されている。

歴史的背景と故ザーイド大統領の構想

この島を特別な存在へと押し上げた人物が、UAE建国の父として知られるザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン初代大統領である。1971年、UAE建国と同時に島を購入し、自然保護と生物多様性の回復を目的とした「緑化計画」を開始した。1980年代には本格的な野生動物の再導入が始まり、今では中東最大の野生動物保護区となっている。

この国家的プロジェクトは「アラブ・ワイルドライフ・パーク(Arabian Wildlife Park)」として結実し、島全体の半分以上を占める約45平方キロメートルが保護区として指定された。観光客のアクセスは制限されており、サファリ・ツアーなど管理された形でのみ自然とのふれあいが可能である。

島の生態系と野生動物

シル・バニ・ヤス島は、その気候や地形の過酷さにもかかわらず、数多くの動植物が生息している。特に注目すべきは、以下のような絶滅危惧種の保護と繁殖活動である:

種名 保護状況 備考
アラビアオリックス 絶滅寸前 自然に近い形での群れ生活が島内で観察可能
ガゼル(複数種) 減少傾向 放し飼いで保護、繁殖成功
チーター 輸入種 エコバランス維持のため制御された再導入
シマウマ、キリンなど 外来種 教育・観光目的で管理された形で生息
約170種の鳥類 渡り鳥含む マングローブ林や湿地を利用して繁殖

さらに、島では約30万本の樹木が植樹されており、アカシアやガフの木などが乾燥地帯の緑化に貢献している。

持続可能な観光と宿泊施設

シル・バニ・ヤス島では、ラグジュアリーと自然保護が両立した宿泊体験が可能である。観光の核となるのは、アナンタラ・ホテルズ&リゾーツによって運営されている3つの宿泊施設である:

  1. アナンタラ・デザート・アイランズ・リゾート&スパ

  2. アナンタラ・アル・ヤム・ヴィラズ

  3. アナンタラ・アル・サハブ・ヴィラズ

これらの施設では、サファリ・ドライブ、乗馬体験、カヤック、山岳ハイキング、考古学的遺跡の見学ツアーなど、多彩なアクティビティが提供されている。すべての観光サービスは、環境負荷の最小化を第一に設計されている。

考古学的遺産と文化的価値

シル・バニ・ヤス島の魅力は自然だけにとどまらない。島には6000年以上前の人類の痕跡が発見されており、古代文明の重要な拠点であった可能性が高い。1992年以降の発掘調査では、以下のような遺跡が確認されている:

  • キリスト教修道院(7世紀):アラビア半島で確認されている数少ないキリスト教遺跡のひとつ。

  • 石器時代の居住跡:島に人が住み始めたのは新石器時代にさかのぼるとされる。

  • 交易拠点跡:真珠取引や陶器の破片など、交易活動の証拠が発見されている。

このような遺産は、ガイド付きの文化ツアーとして一般公開されており、教育的価値も高い。

気候変動と保護活動の今後

近年、気候変動や観光開発の圧力によって、シル・バニ・ヤス島の生態系にも影響が懸念されている。とりわけ降雨量の不安定化、地下水の塩分濃度の上昇、外来種の生態系への影響などが注視されている。

こうした課題に対応するため、政府および民間セクターでは以下の取り組みが進行中である:

  • 海水淡水化技術の導入と循環利用

  • ドローンやAIを活用した動植物モニタリング

  • 観光客数の制限と予約制の強化

  • 教育・研究施設の充実と国際的な研究者との連携

また、島の成功事例を国内外に共有することで、他地域における自然再生のモデルケースとして注目されている。

結論

シル・バニ・ヤス島は、単なる観光地ではなく、「自然と人間が共生できる」未来への挑戦そのものである。石油によって繁栄した国が、持続可能性と生物多様性を未来の財産として守り続けようとするこの姿勢は、21世紀の国際社会において極めて重要な意義を持つ。

島を訪れるすべての人々は、ただの観光客ではない。環境保護の一翼を担う協力者であり、この地球の未来に対する責任を共有する仲間である。


参考文献:

  • Emirates Nature–WWF: “Conservation and Biodiversity on Sir Bani Yas Island”

  • Abu Dhabi Department of Culture and Tourism: “Sir Bani Yas Island – Nature and Heritage”

  • National Geographic Arabia, 2022年特集号

  • Zayed University Environmental Studies, 2021年報告書

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