用語と意味

ジャーヒリーヤ時代の真実

「時代の闇に光を当てる:完全解説・アラブの“時代”とされた“ジャーヒリーヤ(無知の時代)”とは何か」

アラブ世界において「ジャーヒリーヤ(جاهلية)」という語は、単に「イスラーム以前の時代」を意味するだけではない。その言葉の背後には、文明・文化・信仰・社会制度といった側面を含め、イスラーム以前のアラブ社会全体に対する宗教的・道徳的・文化的な評価が内包されている。学術的視点からは、この「ジャーヒリーヤ」は単なる過渡的な前史段階ではなく、独立した歴史的実在としての意味と価値を持つ時代であった。本稿では、ジャーヒリーヤとされる時代の起源・特徴・文化・宗教・社会構造・経済活動・詩文・女性の地位などを、最新の歴史学・宗教学・人類学の研究成果を踏まえながら、完全かつ包括的に分析する。


ジャーヒリーヤの語源と概念

「ジャーヒリーヤ(جاهلية)」という言葉は、「無知」「野蛮」「理性の欠如」を意味するアラビア語の「ジャハル(جهل)」に由来する。この語はイスラームの啓示において、啓示以前の不道徳な状態、神への無知、偶像崇拝の支配といった意味で頻繁に使用された。だが、現代の歴史学者はこの言葉を単なる蔑称としてではなく、特定の時代区分、すなわち「イスラーム以前のアラブ社会全体」を示す歴史的・文化的用語としても認識している。


ジャーヒリーヤ時代の時間的枠組み

ジャーヒリーヤ時代の正確な始点は学界でも議論されているが、一般的には紀元前5世紀から預言者ムハンマドによるイスラームの啓示開始(西暦610年)までの時期とされる。特に6世紀は、アラブ社会が最も動的に変化し、部族連合・交易路の形成・詩文学の発展などが見られた時期である。


地理的背景と部族構造

アラビア半島は地理的に乾燥した砂漠地帯であり、その環境が部族制の発展と密接に関わっていた。水源やオアシスを巡る争いは恒常的であり、遊牧を主とするベドウィン(遊牧民)はその移動生活に適した柔軟な社会構造を形成していた。部族は血縁を基礎とした社会単位であり、個人の名誉や責任は一族全体に及ぶという、強固な共同体意識が存在していた。

表:代表的なアラブ部族(6世紀)

部族名 活動地域 特徴
クライシュ族 メッカ 商業と宗教の中心、ムハンマドの出身部族
タミーム族 ナジュド 雄弁と詩才に長けることで有名
ガッサーン族 シリア南部 ビザンツ帝国と連携、キリスト教信仰
ラフム族 イラク南部 サーサーン朝と結びつき、東アラブ世界に影響力

宗教的背景

ジャーヒリーヤ時代の宗教は多神教(ポリテイズム)が主流であり、カアバ神殿(メッカ)には数百に及ぶ偶像が祀られていた。神々の中でも有名なのはフッバル(Hubal)、ラート(al-Lāt)、ウッザー(al-‘Uzzā)、マナート(Manāt)などである。また、天使・精霊(ジン)・運命の神といった概念も普及していた。一方で、ハニーフ(حنيف)と呼ばれる一神教的な傾向を持つ人々も存在し、ユダヤ教徒やキリスト教徒、ゾロアスター教徒との接触もあった。


経済と交易

メッカを中心とした都市では、アラビア半島を南北に結ぶ交易が盛んに行われた。メッカは紅海沿岸のイエメン地方から香料や織物を輸入し、北方のビザンツやシリアへと輸出する中継地点であった。ラクダによる隊商交易が商業の主軸をなし、ジャーヒリーヤ後期には交易都市としてのメッカの重要性が高まっていた。


詩文学と口承文化

アラブ世界の文化的遺産の中で、ジャーヒリーヤ時代の詩文学(アル=シィル・アル=ジャーヒリー)は特に重要である。韻律とリズムに富み、部族の名誉、英雄的行為、恋愛、自然の描写などが詠まれた。代表的な詩人にはイムル・アル=カイス(امرؤ القيس)、アンタラ・イブン・シャッダード(عنترة بن شداد)、ザフール(زهير بن أبي سلمى)などがいる。

これらの詩は文字ではなく、吟遊詩人によって口承され、部族間の競技や集会で披露された。詩は単なる娯楽ではなく、記録、教育、政治的プロパガンダの手段でもあった。


女性の地位と社会制度

ジャーヒリーヤにおける女性の地位は部族や地域によって大きく異なるが、一般的には父系社会であり、女性の社会的自由は限定的だった。特に女子の嬰児殺し(ワアド)は一部の部族で行われており、イスラーム啓示において厳しく非難された。とはいえ、全ての女性が抑圧されていたわけではなく、ハディージャ(ムハンマドの最初の妻)のように商業的に成功し、社会的影響力を持つ女性も存在していた。


法と道徳:名誉と復讐

部族社会における法的秩序は「カース(Qass)」と呼ばれる復讐の原理によって維持されていた。殺人に対しては「血の復讐」が行われ、名誉の回復が最優先された。また、ザカーフ(施し)や保護制度(ジワール)など、共同体内での助け合いの制度も存在していた。宗教的道徳ではなく、部族の慣習(ウルフ)が社会の倫理を規定していた。


ジャーヒリーヤの歴史的評価

イスラームの聖典クルアーンにおいて「ジャーヒリーヤ」という語は否定的な文脈で使用されているが、近代の研究者はその文明的側面を再評価している。確かに宗教的には多神教的であったが、詩や交易、社会制度において独自の高度な文化を築いていたのは否定できない事実である。また、イスラームの多くの制度(巡礼、部族制度、詩文化)はこの時代の土壌の上に築かれたものである。


結語

「ジャーヒリーヤ」は単なる「無知の時代」ではない。それは、イスラームが誕生する前夜のアラブ社会が持っていた複雑な宗教観、洗練された詩文文化、交易を通じた世界との接触、そして血縁を基盤とする共同体制度が絡み合った、多面的で豊かな歴史的実体である。イスラームの登場によって宗教的には否定されたとはいえ、そこにあった文化的遺産は、今日に至るまでアラブ社会の精神的基盤に影響を与えている。


参考文献:

  1. Irfan Shahid, Byzantium and the Arabs in the Sixth Century, Dumbarton Oaks, 1995

  2. F.E. Peters, The Children of Abraham: Judaism, Christianity, Islam, Princeton University Press, 2004

  3. Tarif Khalidi (編), Classical Arab Islam, Darwin Press, 1996

  4. Michael Cook, The Koran: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2000

  5. 田川建三『クルアーン入門』筑摩書房、2004年

  6. 森本一夫『イスラーム思想を読みとく』名古屋大学出版会、2012年

Back to top button