栄養

セレンの健康効果

セレン(Selenium, Se)完全解説:その生理作用、欠乏と過剰、応用、そして最新の科学的知見

セレン(元素記号:Se)は、人体にとって微量ながらも不可欠なミネラルであり、その生理的役割は極めて広範かつ複雑である。1940年代まではその毒性のみが注目されていたが、1970年代以降、抗酸化作用やがん予防、免疫調節機能などにおける重要性が科学的に明らかにされ、今日では栄養学・毒性学・環境科学・農業科学・医療など多分野で活発に研究が行われている。この記事では、セレンの全体像を網羅的かつ科学的に探求する。


セレンの基本情報と化学的性質

セレンは周期表の第16族に属する非金属元素で、酸素、硫黄と同族である。自然界には無機形態(セレン酸塩、亜セレン酸塩など)と有機形態(セレノシステイン、セレノメチオニンなど)の両方が存在する。有機形態は主に動植物の中に存在し、無機形態は土壌や鉱石に多く見られる。

性質 内容
原子番号 34
原子量 78.96
電子配置 [Ar] 3d¹⁰ 4s² 4p⁴
同位体 Se-74, Se-76, Se-77, Se-78, Se-80, Se-82(安定)
酸化数 -2, 0, +4, +6

セレンの生理機能

セレンはヒトや動物の体内で多くの酵素に組み込まれており、特に以下のような生理機能に関与している。

1. 抗酸化作用

セレンはグルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)という酵素の構成成分であり、この酵素は細胞内の過酸化物(H₂O₂や脂質過酸化物)を還元し、酸化ストレスから細胞を保護する。

text
H₂O₂ + 2GSH → 2H₂O + GSSG (GPxによる反応)
2. 甲状腺ホルモンの調節

セレン含有酵素であるヨードチロニンデヨージナーゼは、甲状腺ホルモンT4(サイロキシン)を活性型のT3(トリヨードサイロニン)に変換する。

3. 免疫機能の向上

セレンの適正摂取は、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)やT細胞の活性を促進し、感染症や腫瘍に対する抵抗力を強化することが知られている。

4. 生殖機能

男性では、セレンは精子の運動性を高め、精子膜の酸化的損傷から保護する。動物実験でも、セレン欠乏が精巣の萎縮や不妊につながることが報告されている。


セレンの摂取源と推奨摂取量

主な食事由来のセレン供給源:
食品 セレン含有量(μg/100g)
ブラジルナッツ 1900
マグロ 80
牛肉 35
全粒小麦 70
卵黄 30
厚生労働省による日本人の推奨摂取量(2020年版)
年齢層 男性(μg/日) 女性(μg/日)
成人(18歳以上) 30 25
耐容上限量 450 350

セレン欠乏症とその影響

セレン欠乏は通常、極端に低セレン土壌地域(中国の一部、シベリア、北朝鮮)に見られる。欠乏症は特定の疾病を引き起こす。

1. 克山病(Keshan病)

中国で報告された心筋症。セレン欠乏に加えてウイルス感染が引き金となり、致死的な心臓障害をもたらす。

2. カシン・ベック病(Kashin-Beck病)

関節軟骨の壊死と変形を引き起こす疾患。骨の成長障害や変形性関節症に似た症状を示す。

3. 免疫低下・感染症への感受性増加

HIV感染患者ではセレンが極端に低下しており、進行の促進と関連している。


セレン過剰と中毒:セレノーシス(Selenosis)

セレンは適量では必須元素だが、過剰摂取により中毒を引き起こす。特にサプリメントや土壌汚染による長期的な高曝露が危険因子となる。

主な症状:
  • 爪や髪の脱落

  • 神経障害(感覚鈍麻、運動失調)

  • ニンニク臭の呼気(ジメチルセレニド由来)

  • 消化器症状(吐き気、嘔吐、下痢)


セレンと疾病の関係性:科学的研究の進展

近年の疫学的・臨床研究により、セレンの摂取と以下のような疾患との関連が示唆されている。

がん予防:

セレンはDNA修復促進、アポトーシス誘導、発がん性物質の解毒といった多面的な作用を通じて、前立腺がん、大腸がん、肺がんのリスクを低下させる可能性があると報告されている(Clark et al., 1996)。

心血管疾患:

酸化LDLの減少と血管内皮保護により、動脈硬化進行の抑制が期待される。

神経変性疾患:

アルツハイマー病患者の脳内でセレン含有酵素の活性低下が観察されており、予防的役割が示唆されている(Cardoso et al., 2017)。


セレンのバイオアベイラビリティと体内動態

吸収:

セレノメチオニン(植物性)は腸管から90%以上吸収され、全身に広く分布する。セレノシステイン(動物性)は吸収効率が若干低いが、特定酵素に選択的に取り込まれる。

蓄積:

血中ではセレンはセレノプロテインPとアルブミンに結合し、主に肝臓、腎臓、脳、精巣に蓄積する。

排泄:

尿中排泄が主であるが、過剰時には呼気中にジメチルセレニドとして排出され、特有の臭気を呈する。


環境中のセレン:農業と公衆衛生への影響

セレンは必須元素でありながら、濃度によっては作物の生育阻害や家畜中毒を引き起こす。したがって、土壌中のセレン濃度管理が極めて重要である。

地域差:

セレン欠乏土壌(中国、ニュージーランド)ではセレン強化肥料が使用される一方、セレン過剰地域(アメリカ西部)では家畜の中毒が問題となっている。


臨床応用とサプリメントの現状

日本国内では、セレンはサプリメントとして「セレノメチオニン」や「セレン酵母」として流通しており、免疫強化・老化防止・がん予防などの目的で利用されている。

注意点:
  • 推奨量を超えないこと

  • 他の抗酸化物質(ビタミンE、C)との相互作用に留意すること

  • 妊娠中の摂取は医師の指導下で行うべきである


まとめと今後の展望

セレンはその多機能性から、現代医学・栄養学・環境科学における注目元素である。今後の研究課題としては、セレンの個体差による代謝経路の解明、がんや神経疾患に対する治療的応用の確立、そして食品中のセレン含量の適正化が挙げられる。

セレンの科学的理解はまだ発展途上でありながら、その応用可能性は極めて大きい。われわれがこの微量元素と正しく向き合うことで、健康の維持と疾病予防の新たな道が開かれることが期待されている。


参考文献

  • Clark, L.C., et al. (1996). Effects of Selenium Supplementation for Cancer Prevention in Patients with Carcinoma of the Skin. JAMA 276(24):1957–1963.

  • Rayman, M.P. (2012). Selenium and human health. The Lancet 379(9822):1256–1268.

  • Cardoso, B.R., et al. (2017). Selenium status and cognitive performance: a review. Frontiers in Nutrition 4:48.

  • 日本食品標準成分表(文部科学省, 2020年版)

  • 厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2020年版)」


※この情報は日本の読者を対象とした教育・啓発目的で作成されたものであり、医学的助言を代替するものではありません。具体的な健康相談は医療機関にご相談ください。

Back to top button