栄養

セレンの科学と応用

セレン(Selenium, 元素記号:Se)は、周期表の第16族(カルコゲン)に属する非金属元素であり、地球の地殻中には微量しか存在しないが、生物学的・産業的には極めて重要な役割を果たしている。この記事では、セレンの発見から化学的性質、生理学的機能、産業用途、環境への影響に至るまで、あらゆる側面を科学的かつ詳細に考察する。さらに、近年注目される抗酸化作用やがん予防との関係、半導体材料としての応用など、最新の研究成果も織り交ぜながら、包括的に解説する。


セレンの発見と名称の由来

セレンは1817年にスウェーデンの化学者イェンス・ベルセリウスによって発見された。彼は硫酸工場で不純物として発生した沈殿物を分析中に、テルル(Te)に似た未知の元素を見つけた。当初、それをテルルと誤認したが、詳細な分析により新しい元素であることが判明した。彼はこの元素を、ギリシャ語で「月」を意味する「selene(セレーネ)」にちなんで「セレン」と名付けた。これは、テルルが「地球」を意味する「tellus」に由来することとの対比である。


化学的性質と同族元素との比較

セレンは周期表の第16族(酸素族元素)に属しており、酸素(O)、硫黄(S)、テルル(Te)、ポロニウム(Po)と同じ族に位置している。セレンはこれらの元素と多くの共通点を持ちつつも、特有の化学的性質を示す。

元素 原子番号 電子配置 主な酸化数 電気陰性度
酸素 8 1s² 2s² 2p⁴ -2 3.44
硫黄 16 [Ne] 3s² 3p⁴ -2, +4, +6 2.58
セレン 34 [Ar] 3d¹⁰ 4s² 4p⁴ -2, +4, +6 2.55
テルル 52 [Kr] 4d¹⁰ 5s² 5p⁴ -2, +4, +6 2.10

セレンは硫黄と非常によく似た化学的性質を持ち、無機化合物および有機化合物の両方において酸化数-2の形で存在することが多い。また、+4および+6の酸化状態も見られる。これは、硫黄やテルルと同様である。セレンは酸素や硫黄よりも電気陰性度が低く、より金属性を帯びている。


同素体と物理的性質

セレンには複数の同素体が存在するが、主に次の3つが知られている:

  1. 灰色セレン(メタリックセレン):結晶性が高く、最も安定な形態であり、光電効果や半導体特性を示す。

  2. 赤色セレン(アモルファスセレン):環状Se₈分子から成る、非晶質で粉末状の物質。

  3. 黒色セレン:ガラス状で、冷却速度の違いにより生成される非晶質状態。

これらの同素体は、用途や応用分野に応じて使い分けられている。

性質 灰色セレン 赤色セレン 黒色セレン
金属光沢のある灰色 鮮やかな赤色 黒色、ガラス状
構造 結晶性(六方晶系) 環状分子(Se₈) 非晶質
電気伝導性 高い(半導体) 非常に低い 中程度
光電効果 顕著に見られる ほとんどない 弱い

生理学的役割と生物における重要性

セレンは、極微量ながらも動物や人間の生命維持に不可欠な元素である。主にセレノプロテインと呼ばれる酵素群の構成要素として機能しており、その中でも重要なのが**グルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)**である。

この酵素は、細胞内の過酸化水素や脂質過酸化物を還元し、酸化ストレスから細胞を保護する働きを持つ。セレンが欠乏すると、免疫機能の低下、心筋症(カシン・ベック病)、男性不妊、甲状腺機能障害などが引き起こされる。

セレンの摂取基準(日本)

年齢層 推奨量(μg/日) 上限量(μg/日)
成人男性 30 400
成人女性 25 400
妊婦 25 400
授乳婦 30 400

食品中のセレン含有量

セレンは自然界の多くの食品に含まれているが、含有量は土壌中のセレン濃度に依存する。

食品 セレン含有量(μg/100g)
ブラジルナッツ 1917
マグロ(焼き) 92
卵(全卵) 30
鶏肉 25
玄米 15

特にブラジルナッツは非常に高濃度のセレンを含むが、過剰摂取は**セレン中毒(セレノーシス)**を引き起こす可能性があるため、注意が必要である。


産業用途と技術応用

セレンはその光電効果および半導体特性から、さまざまな分野で応用されている。特に以下の用途が代表的である。

  1. 太陽電池・光電池材料:セレン化銅インジウムガリウム(CIGS)太陽電池の構成材料として利用。

  2. 光導電体(Xerography):複写機やレーザープリンタにおけるドラムの感光材として使用。

  3. ガラス製造:ガラスの着色・脱色、特に赤色ガラスの原料。

  4. 金属の脱硫剤:銅や鉄鋼の製錬過程で硫黄の除去に用いられる。

  5. 潤滑剤添加剤:セレン化合物が摩擦低減に寄与する。

光電効果の原理

セレンが光を受けると、電子が励起され、導電性が高まる。この性質を利用して、光センサーや露出計に応用されている。


環境への影響と毒性

セレンは必須微量元素である一方で、過剰摂取は毒性を示す。環境中では、石炭燃焼、鉱山廃棄物、農業肥料などによって放出され、水系生態系において生物濃縮されることがある。

セレン過剰による影響には、以下が含まれる:

  • 爪や髪の脱落

  • 吐き気、嘔吐

  • 神経障害

  • 呼吸器障害

**水中のセレン基準値(日本)**は0.01 mg/L以下に設定されている。


医学的研究とがん予防

セレンは抗酸化酵素の構成要素であることから、酸化ストレスの軽減を通じて老化防止やがん予防効果が期待されている。特に以下の疾患との関連が研究されている:

  • 前立腺がん

  • 肺がん

  • 大腸がん

  • 肝疾患

  • アルツハイマー病

しかし、ランダム化比較試験(RCT)においては、セレンのサプリメント摂取によるがん予防効果に一貫性がないとする報告もあり、過剰摂取のリスクとのバランスが重要とされている。


セレン研究の最前線

近年では、セレンを含むナノ粒子の医療応用が進められている。セレニウムナノ粒子(SeNP)は、がん細胞のアポトーシス誘導、薬剤キャリア、抗菌作用などで注目されている。さらに、遺伝子編集技術を用いたセレノプロテインの機能解析も進行中である。


おわりに

セレンは、微量でありながら生物にとって不可欠な元素であり、その重要性は医療・産業・環境と多岐にわたる。光電効果や抗酸化作用など、ユニークな性質を持つセレンの研究は、今後さらに進展し、ナノテクノロジーや再生可能エネルギー分野において革新をもたらす可能性を秘めている。摂取量の管理と環境中の動態解明が、今後の安全利用の鍵を握るであろう。


参考文献

  • National Institutes of Health, Office of Dietary Supplements. “Selenium – Fact Sheet for Health Professionals.”

  • Béraud, V., et al. (2020). “Selenium in Human Health and Disease.” Biological Trace Element Research.

  • Hatfield, D. L., et al. (2014). Selenium: Its Molecular Biology and Role in Human Health. Springer.

  • 日本食品標準成分表2020年版(八訂)

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