用語と意味

ダハルとは何か

人類にとっての「時間の彼方」:哲学的・科学的に捉える「ダハル(الدهر)」という概念の全体像

「ダハル(الدهر)」という語は、アラビア語圏やイスラーム哲学において深い含意を持つ語であり、日本語では単に「永遠」や「時間の長大な流れ」などと訳されることが多いが、その本質は遥かに広範で奥深い。本稿では、この「ダハル」という語が持つ宇宙論的、哲学的、宗教的、さらには現代科学的な意味までをも包括的に解析し、「時間とは何か」「存在とは何か」という根源的な問いに対する知的アプローチを提示する。


1. 「ダハル」の語源的背景と古代思想における役割

「ダハル」という語は、古典アラビア語において「非常に長い時間」や「永続する時間軸全体」を指す。クルアーン(コーラン)第76章「アル=ダハル章」では、人類の存在以前の「無名の時期」を「ダハル」として語っている。この語は単なる時間の単位ではなく、「無の中に潜む存在の可能性」「時間を超越した現象の舞台」として捉えられている。

表1:古典アラビア語における「ダハル」関連語

語根(د-ه-ر) 派生語 意味
دَهْر ダハル 無限の時間、永遠
دَهْرِيّ ダハリーヤ 時間主義者(無神論者)
دَهَرَ ダハラ 長い時間が経過する

このように、「ダハル」は単なる抽象的な語ではなく、人間の歴史的記憶を超えた存在の永続性そのものを指す概念でもある。


2. イスラーム哲学と「ダハル」:アル=ファーラービーからイブン・アラビーまで

イスラーム哲学における時間論は、しばしば「ズァマーン(時間)」「ダハル(永続時間)」「サルム(絶対永遠)」という三層構造で捉えられる。

アル=ファーラービーは『哲学の達成』において、物理的時間(ズァマーン)を天体運行と関連付ける一方、ダハルをそれを包摂する「存在の舞台」として扱った。これにより、「ダハル」は神的秩序における「潜在時間」とも言える。

イブン・スィーナー(アヴィセンナ)は、『治癒の書』において、「時間とは運動の数である」としたアリストテレスの定義を継承しつつも、ダハルを「天使的世界における非変化的連続性」とし、人間の理性では捉えきれない「高次的存在領域」に属するものとした。

イブン・アラビーはさらに深化させ、「ダハルとは神の名前の一つである」とし、神の絶対的永遠性(アズァリーヤ)を指す語であると位置づけた。彼にとってダハルは「存在が現れる幕」であり、「時間」はあくまで「現象の反映」にすぎないと考えられていた。


3. クルアーンにおける「ダハル」:神学的対話と人間存在の原点

クルアーン第76章の冒頭には次のように記されている。

هَلْ أَتَىٰ عَلَى الْإِنسَانِ حِينٌۭ مِّنَ ٱلدَّهْرِ لَمْ يَكُن شَيْـًۭٔا مَّذْكُورًا

この句の意味は「人間が存在として語られる前に、思い出されることもない『時』が過ぎたではないか」と訳されることが多いが、ここでの「ダハル」は時間の流れというよりも、「人間存在以前の神的計画の場」を意味する。

神学的には、この「ダハル」は「ラウフ・マフフーズ(守られた書板)」における存在の青写真、すなわち「神の意志と知識における永遠の記録」と捉えられる。この視点からすると、人間は「ダハルの中から呼び出された存在」なのであり、その根源は時間を超えている。


4. 仏教・道教・ギリシャ哲学との比較:ダハルと永遠性概念の交差点

仏教においては「無始無終」という概念があり、「時間に始まりも終わりもない」という思想は、「ダハル」の概念と共鳴する。特に『華厳経』に見られる「一即多・多即一」の時間観は、ダハルの「全体としての永遠性」と共通する。

ギリシャ哲学における「アイオーン(Aion)」という語も、「クロノス(物理的時間)」とは区別される「永遠の時間」であり、プラトンは『ティマイオス』で「天球運行の模倣としての時間」と位置づけた。この「永遠の原型」こそが、「ダハル」の哲学的対応語であるとされる。


5. 現代科学と「ダハル」:ビッグバンと熱的死の間で

ビッグバン理論によると、我々の宇宙は約138億年前に誕生した。これ以前に「時間」は存在しないとされるが、量子重力理論の一部では、「時間の起源以前に存在した何らかの場」についても議論されている。

物理学者ロジャー・ペンローズは「コンフォーマル・サイクル宇宙論(CCC)」を提唱し、「宇宙の死」と「新たな宇宙の誕生」は円環的に連続しており、「時間の向こうに時間がある」という立場を取る。このような理論は「ダハル=全宇宙的永遠の中に含まれる連続的時間」という観念と合致する。


6. 心理的時間と「ダハル」:存在の内面から見る時間

人間の認知において、「現在」は常に刹那的であるが、記憶と予期によって「時間の全体性」を内面化している。この心理的時間こそが、神秘思想やスーフィズム(イスラーム神秘主義)における「内的ダハル」として機能する。

特にジャラールッディーン・ルーミーの詩では、「時間を忘れる瞬間」にこそ「神に触れる瞬間」があるとされる。彼にとって、祈りや愛は「ダハルの時間に生きる」行為であった。


7. 結論:「ダハル」という語が持つ哲学的・宇宙論的力

「ダハル」という概念は、単なる時間の延長ではない。それは時間の外側にある「存在の可能性」、神の知識における「全的同時性」、そして物理法則さえをも包含する「永遠の構造」として機能する。

このような視点は、科学と宗教の架け橋としてだけでなく、人間存在そのものを再定義する鍵ともなりうる。人は「今」という瞬間に生きながらも、その魂は「ダハル」という永遠の中に根を持つ。


参考文献

  • アル=ファーラービー『哲学の達成』

  • イブン・スィーナー『治癒の書』

  • イブン・アラビー『フトゥーハート・マッキーヤ』

  • ジャラールッディーン・ルーミー『精神のマスナヴィー』

  • Roger Penrose, Cycles of Time (2010)

  • Carlo Rovelli, The Order of Time (2018)

  • 岡潔『風の中の知恵』

  • アリストテレス『自然学』


読者の皆さまが「時間」を超えて「存在」の深淵に触れ、日常の中にある「ダハル」の断片を見出されることを願ってやまない。

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