バートラの位置とその歴史的背景
バートラ(ペトラ)は、ヨルダン王国南部の砂漠地帯に位置する古代の都市遺跡で、世界的に有名な観光地であり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。この都市は、紀元前6世紀頃にナバテア人によって建設され、後にローマ帝国の支配下に置かれました。バートラは、独特の建築様式や岩を削って作られた構造物によって、古代の技術と文化の集大成として知られています。

バートラの地理的位置は、ヨルダン南部のムアー県に位置し、首都アンマンから約240キロメートル、アカバ湾から約120キロメートルの距離にあります。バートラは、岩山を削り出して建てられた建物やモニュメントが点在しており、これらはほぼすべて、赤褐色の砂岩を用いて作られているため、「赤い都市」とも呼ばれています。
バートラへは、専用の入り口からアクセスすることができ、そこから約1.5キロメートルにわたる「シーク」と呼ばれる渓谷を歩くことで、遺跡エリアへとたどり着きます。この渓谷の両側には、壮大な岩壁がそびえ立ち、訪れる人々を圧倒します。シークの終わりには、最も有名な建物「エル・カズネ(財宝の館)」が待ち受けており、その精緻な彫刻と壮麗な外観は、訪れる者を驚嘆させます。
バートラの歴史と重要性
バートラは、紀元前4世紀頃にナバテア人によって建設されたとされ、彼らの商業と交易の中心地として栄えました。ナバテア人は、アラビア半島の商人として、シルクロードを含む数々の交易路を支配し、バートラはその中継地点として重要な役割を果たしていました。バートラの都市は、主に砂岩を削って作られた壮大な建物や墓地で有名で、これらの建物にはナバテア文化やローマ文化、ギリシャ文化が融合した特徴が見られます。
バートラの最盛期は紀元1世紀頃であり、ナバテア王国はローマ帝国と結びつき、繁栄を遂げました。しかし、紀元2世紀頃にはローマ帝国の支配下に入り、その後の時代に地震や自然災害、さらには貿易ルートの変化によって衰退していきました。バートラは長い間忘れられていましたが、1812年にスイスの探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって再発見され、再び世界の注目を浴びることとなりました。
バートラの見どころと観光名所
バートラの観光名所は、その独特な建築様式と歴史的背景から、多くの観光客を引きつけています。以下は、バートラで必見の主要なスポットです。
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エル・カズネ(財宝の館)
バートラで最も有名な建物で、シークの終わりに位置します。その壮麗な外観は、古代の彫刻技術を感じさせるもので、映画『インディ・ジョーンズ』シリーズにも登場したことがあり、世界的に知られています。 -
アル・デイル(修道院)
バートラの中でも最も壮大な建物のひとつで、高い岩壁を削って作られた修道院です。エル・カズネと並んで、訪れる価値がある場所です。 -
ローマ劇場
バートラの都市の中心部に位置するローマ時代の劇場で、観客席が岩壁に沿って作られています。この劇場は、ナバテア人とローマ人の文化が融合した証として、非常に興味深いものです。 -
大祭壇
バートラの頂上付近に位置し、ナバテア人の宗教儀式が行われた場所と考えられています。ここからは、バートラ全体を見渡すことができ、素晴らしい景色が広がっています。
バートラの文化的影響と保護活動
バートラは、その歴史的価値と美しさから、世界遺産に登録されています。現在も観光地として非常に人気があり、毎年数百万人の観光客が訪れます。そのため、バートラの保護と保存は非常に重要な課題となっています。ヨルダン政府と国際的な団体は、バートラを保護するためにさまざまな活動を行っており、定期的な修復作業や管理が行われています。
また、バートラの遺跡を訪れることは、ナバテア人やローマ帝国、さらには古代の交易路に関する深い理解を深める機会でもあります。バートラの遺産は、単なる観光名所としてだけでなく、世界の歴史と文化を学ぶ貴重な場所でもあります。
結論
バートラは、その美しい景観と深い歴史的背景から、訪れる価値のある場所です。古代ナバテア文明の遺産を今に伝えるこの都市は、地理的にも歴史的にも非常に重要な位置にあります。訪れる人々は、その壮大な建築と遺跡を通じて、古代文明の息吹を感じることができるでしょう。また、バートラの保存活動は、未来の世代にこの貴重な遺産を伝えるために欠かせないものです。