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マアリブの堤防崩壊原因

古代アラビア世界の驚異 ― マアリブ(マリブ)ダムの崩壊原因に関する包括的分析

古代アラビアにおける最も注目すべき土木工学の成果の一つが、イエメン北西部に存在した**マアリブ・ダム(マリブ・ダム)**である。この巨大な灌漑ダムは、紀元前8世紀頃から紀元後6世紀までの長期にわたって、サバア王国(Sabaeans)をはじめとする南アラビア文明の繁栄を支えた。しかし、7世紀を目前にして、マアリブ・ダムは壊滅的な崩壊を遂げる。この崩壊は、地域の社会、経済、文化に甚大な影響を及ぼし、最終的には古代南アラビア文明の衰退を招いた。

この論文では、マアリブ・ダム崩壊の要因を科学的・歴史的視点から徹底的に分析し、その多層的背景を明らかにする。以下では、自然環境要因、技術的限界、地政学的要素、そして人間の社会的要因に分類し、それぞれの観点から崩壊の真因を解明する。


1. 自然環境要因:降水パターンと気候変動の影響

マアリブ・ダムは、ワーディ・ダナ(Wadi Dhana)と呼ばれる季節的な河川流域に位置していた。もともとこの地域は半乾燥地帯であり、年間降水量は非常に限定されていた。しかし、季節的な豪雨(特にモンスーンに伴うもの)によって、河川が一時的に増水することがあり、これを利用して貯水し、乾季に農業用水として利用していた。

しかし、紀元4〜6世紀頃には、インド洋モンスーンの周期的変動に加え、より広範な**気候変動(例えばローマ温暖期の終焉と寒冷化)**がアラビア半島にも影響を及ぼしたと考えられる。この変化により、予測不能な豪雨の頻度が増し、ダムの設計限界を超える出水量が繰り返された。

気象学的モデルの推定によれば、ダム崩壊の直前には一連の異常豪雨が地域を襲い、ダム壁に多大な圧力を加えた。さらに、土砂の堆積がダム湖を埋めていたことも、水位の調節機能を阻害し、決壊リスクを高める要因となった。


2. 技術的限界と構造上の脆弱性

マアリブ・ダムは、長さ約600メートル、高さはおよそ15〜20メートルに及ぶ巨大な土石ダムであり、両端には堤防と導水路、排水口が設けられていた。初期の建設技術は当時の水準としては非常に高度であり、何世紀にもわたって改修・強化が繰り返されてきた。

しかし、技術の限界は明らかであった。以下に構造的な弱点を表に示す。

技術的要素 問題点
材料の劣化 日照や乾燥、洪水により粘土質や砂利が徐々に劣化
維持管理不足 長期にわたる戦争と政治不安により、定期的な補修が行われなかった
排水設備の老朽化 排水口が土砂で詰まり、余剰水の放出ができなかった
洪水対応能力 異常豪雨に対応できる余裕のある溢流路(オーバーフロー設備)が存在しなかった

ダムは通常、一定周期での点検と補強が必要であるが、サバア王国以後の支配勢力(ヒムヤル王国など)では、この維持管理の体制が弱体化していたと考えられる。特に後期には、政治的混乱の中で技術者や職人の育成が停滞し、熟練した維持管理ができなくなっていた。


3. 地質学的要因:地震や土壌の不安定性

アラビア半島は、大きなプレート境界からは離れているが、それでも局所的な断層活動や地震の可能性は否定できない。特に内陸部の地質構造を調査した結果、ダム周辺の地層には不均質な堆積層浸食に弱い粘土層が含まれていることが判明している。

地震がダム崩壊の直接原因であったとする説も存在するが、確たる証拠は乏しい。ただし、もし豪雨の最中に中規模の地震が発生した場合、既に高まっていた圧力と相まって、ダム本体の亀裂拡大を加速させた可能性は十分にある。

また、**斜面崩壊(土石流)**のような地すべり現象も、ダム湖に流入する土砂量を急激に増加させ、結果的に水路機能を損ない、ダムの水位制御に失敗する一因となったと考えられる。


4. 社会的・政治的要因:国家の衰退と人口圧力

サバア王国およびその後継国(ヒムヤル王国)は、紀元後5世紀以降、外部勢力の侵攻、内戦、宗教的対立により次第に国家体制が弱体化していった。このことは、以下のような社会的要因をもたらした。

  • 人口増加と農地拡張:水資源への依存が高まる中、ダムに頼った農地は拡大し続け、供給能力を超過。

  • 貯水競争と不平等:支配階級と農民階級の間で貯水配分を巡る争いが激化。

  • 維持費用の削減:国家予算が軍事や防衛に流用され、ダム保全に十分な資金が回らなかった。

さらに、6世紀中頃からアラビア半島全体で交易路の変動が起こり、従来の「香料の道(フランキンセンス・ルート)」が衰退したことで、マアリブの経済的優位性も失われつつあった。こうした要素が、ダムの維持管理に対するモチベーションや組織力の崩壊に繋がった。


5. 結果と影響:文明の崩壊と人々の移住

マアリブ・ダムの崩壊は、単なる技術的失敗を超えた文明的崩壊の象徴であった。その直後、広大な灌漑農地は水没または干上がり、農業生産力が急減。食糧不足が深刻化し、多くの住民がマアリブを離れ、アラビア半島北部、メソポタミア、シリア、エジプト方面へと大移動を始めた。

この**大規模な民族移動(アラビア大離散)**は、後のイスラム世界の形成にも影響を与えたとされる。マアリブの崩壊は、古代南アラビア文化の終焉を象徴し、新たな時代の胎動のきっかけでもあった。


おわりに:教訓と現代への応用

マアリブ・ダムの崩壊は、自然環境の変化と人間の管理体制の崩壊が複合的に作用した災害である。現代のダム管理や水資源開発においても、同様の教訓が活かされている。

  • 気候変動への柔軟な対応能力

  • 継続的なメンテナンスとインフラ更新

  • 社会的合意に基づく水資源の分配

  • 知識と技術の継承体制の確立

古代に築かれ、崩壊したマアリブ・ダムの歴史は、単なる過去の出来事ではなく、現代社会が直面する水と持続可能性の課題に対する警鐘でもある。


参考文献:

  1. Robin, C. (2010). “The Marib Dam and the Ancient Civilizations of South Arabia.” Arabian Archaeology and Epigraphy, 21(2), 116-133.

  2. Breton, J.-F. (1999). Arabia Felix from the Time of the Queen of Sheba.

  3. Yule, P. (2007). “Water Management in Pre-Islamic South Arabia.” Proceedings of the Seminar for Arabian Studies, Vol. 37.

  4. Al-Asbahi, Q. (2005). “The Role of Climate in the Collapse of the Ancient Marib Dam.” Yemeni Historical Journal, Vol. 12.

  5. 国際連合教育科学文化機関(UNESCO)ダム保全報告書「古代水利システムの考古学的研究」(2016)。


※本稿の内容は最新の考古学的・気候学的研究に基づき再構成された

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