フリーメイソンと並び称される謎の騎士団——マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)の完全かつ包括的解説
マルタ騎士団(正式名称:聖ヨハネ病院騎士団、あるいは聖ヨハネのエルサレム騎士団)は、中世から現代に至るまで存続する、最も古く、最も影響力のある騎士団のひとつである。その歴史は約千年に及び、軍事的・医療的・宗教的・外交的な側面を併せ持つ。十字軍の時代に起源を持ち、ヨーロッパ、地中海、中東にわたって活動したこの組織は、単なる歴史的遺物ではなく、今日でも国際的な認可を受ける主権実体として活動している。以下では、マルタ騎士団の起源、発展、軍事活動、国際的地位、現代における役割までを完全に網羅し、学術的な視点から詳細に分析する。

起源:エルサレムの病院と聖ヨハネの名の由来
マルタ騎士団の起源は、11世紀後半のエルサレムに設立された病院に遡る。この病院は聖ヨハネに捧げられ、巡礼者に医療や宿泊を提供する目的で創設された。創設者とされるのは、アマルフィの商人たちであり、当初は宗教的奉仕団体として活動していた。
1099年の第一次十字軍によってエルサレムがキリスト教徒の手に渡ると、病院の機能は拡張され、組織的な宗教騎士団へと発展していく。教皇パスカリス2世により1113年に認可され、騎士団は聖職者、軍人、奉仕者という三層構造を持つ独立組織となった。
十字軍との関係と軍事的性格の獲得
当初は病院の運営を主目的とした非戦闘的団体であったが、イスラム勢力との対立が激化する中で、防衛的意味合いから次第に武装化していった。これにより、テンプル騎士団と同様に「聖戦」において重要な軍事的役割を果たすようになる。
12世紀から13世紀にかけて、マルタ騎士団は聖地の防衛に従事し、城塞建築や騎士訓練などを進めた。彼らの軍事力は十字軍国家の安全保障に不可欠であり、またイスラム勢力に対する反撃の前線を担っていた。
聖地喪失後の拠点移動:キプロス、ロードス、そしてマルタ
1291年、アッコン(現在のイスラエル北部)がムスリム勢力によって陥落すると、キリスト教勢力は聖地から追放される。マルタ騎士団も例外ではなく、拠点をキプロス島へ移した。だが、政治的に不安定なキプロスでは十分な活動ができず、1310年にはロードス島を拠点とすることに成功する。
ロードスでは、騎士団は独立国家的な存在として島の統治を行い、海賊の撃退、ムスリム勢力との海戦などに積極的に関与した。特にオスマン帝国との戦いでは幾度も勝利を収め、キリスト教世界の英雄として称賛された。
しかし、1522年にはついにオスマン帝国のスレイマン1世の攻撃によってロードス島が陥落。騎士団は島を追われ、1530年に神聖ローマ皇帝カール5世からマルタ島を与えられることになる。
マルタでの黄金時代と大包囲戦
マルタ島に拠点を構えた騎士団は、ここで新たな要塞都市ヴァレッタを築き上げ、地中海の防衛拠点とした。1565年、オスマン帝国による「マルタ大包囲戦」では数において劣勢でありながら、驚異的な防衛戦を繰り広げ、最終的に勝利を収めた。
この勝利はヨーロッパ中に衝撃を与え、騎士団は「キリスト教の防波堤」と称されることになる。以後、マルタ島において経済、建築、文化の発展が進み、多くの芸術家や建築家が招聘され、ヨーロッパでも指折りの都市文化が育まれた。
ナポレオンによる追放とローマ亡命
しかし栄光は長く続かない。1798年、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がエジプト遠征の途中にマルタ島を占拠。騎士団は軍事的抵抗をほとんど示すことができず、事実上マルタから追放される。これにより彼らは恒久的な拠点を失い、ヨーロッパ各地を転々とする「騎士団亡命時代」に突入する。
その後、ロシア皇帝パーヴェル1世が騎士団の保護を申し出るが、正教会とカトリックの対立から教皇庁はこれを否定。最終的に騎士団はローマに本部を置くこととなる。
現代におけるマルタ騎士団の実態:主権国家か慈善団体か
現在のマルタ騎士団は、正式には「マルタ主権軍事騎士団(Sovereign Military Order of Malta)」と呼ばれ、ローマに本部を置いている。興味深いのは、この騎士団が国際法上の「主権実体」として認められている点である。独自のパスポート、通貨、切手、外交官を有し、世界100カ国以上と外交関係を結んでいる。
一方、実際には領土を持たず、国際連合にも加盟していないため、国家と呼ぶには限界がある。そのため、一部では「国際的な慈善団体」としての側面が強調されることもある。
医療・人道支援活動への移行と現代の影響力
20世紀以降、マルタ騎士団は軍事的性格を放棄し、医療支援と人道支援を中心とした活動へと完全に移行した。国際赤十字、国連機関、カトリック教会との連携のもと、災害支援、貧困地域の医療、難民救助などに従事している。
特にCOVID-19パンデミック時には、各国でのワクチン供給や医療物資提供に尽力し、その影響力を見せつけた。また、アフリカや中東、東欧地域において病院運営、移動診療車の提供、難民キャンプの支援などを行っている。
組織構造と騎士の階層
現在のマルタ騎士団は、騎士階級を以下のように分類している。
階級名 | 説明 |
---|---|
第1階級 | 「完全誓願騎士」と呼ばれ、三つの修道誓願(貧困・貞潔・服従)を立てた聖職者 |
第2階級 | 「誓願のある騎士」や「栄誉騎士」が属し、一部の誓願のみを立てる |
第3階級 | 名誉職としての騎士であり、カトリック信者であれば叙任可能 |
また、上層部は「騎士団総長(Grand Master)」が率いており、選挙によって選出され、ローマ教皇の承認を受ける。組織内には大使、医療部門、教育部門、財政部門などが存在し、官僚的な体制を備えている。
マルタ騎士団と陰謀論・都市伝説
その閉鎖性と長い歴史ゆえに、マルタ騎士団はさまざまな陰謀論や都市伝説の対象となってきた。フリーメイソンやイルミナティとの関係、ヴァチカンとの密約、世界支配の構想などが語られることがあるが、これらは証拠に乏しく、歴史学的な検証には耐えない。
結論:千年の歴史を背負う現代の秩序
マルタ騎士団は、軍事的宗教団体から国際的医療慈善組織へと、時代に応じて形態を変化させながらも、独自の理念と誇りを守り続けてきた。かつては剣と盾を手に持ち、今では注射器と食料を手に人類に奉仕するその姿勢は、宗教的情熱と人道的使命の融合体としてのモデルを提供している。
現在の国際秩序において、領土も軍事力も持たぬこの団体が、なおも外交的・道義的な存在感を維持しているという事実は、現代における「力」とは何かを改めて問うものである。
参考文献:
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Riley-Smith, Jonathan. The Knights of St. John in Jerusalem and Cyprus. Palgrave Macmillan.
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Sire, H.J.A. The Knights of Malta. Yale University Press.
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The Sovereign Military Order of Malta. 公式ウェブサイト
日本の読者にとって、マルタ騎士団の歴史は欧州中心史観の枠を超え、地政学、宗教、文化、外交の交差点としての意味を持つ。地中海を渡った騎士たちの千年の足跡は、今日の国際社会の根幹を成す倫理と奉仕の精神に通じている。