さまざまな芸術

モロッコ伝統騎馬芸テブリーダ

モロッコの伝統芸術として知られる「テブリーダ(تَبُورِيدَة)」は、単なる騎馬ショーではなく、深く根付いた歴史的、文化的象徴である。この芸術は、数世紀にわたりモロッコの農村部や都市で受け継がれてきたものであり、国家のアイデンティティの中核を成している。現代においても、テブリーダは単なる娯楽や観光資源にとどまらず、伝統、誇り、騎士道、団結、スピリチュアリティの表現でもある。


起源と歴史的背景

テブリーダの起源は、モロッコにおける部族社会の武装騎馬戦術にまで遡る。もともとは部族間の戦いにおける騎馬突撃の訓練や実演として発展したこの芸術は、敵を威嚇するための視覚的・聴覚的インパクトを重視していた。特に火薬を用いた銃声は、その一斉射撃の音響で敵に心理的圧力を与えることが目的であった。

やがて戦争の道具としての役割から離れ、部族の祭礼や収穫祭、婚礼などの儀式において「名誉と誇りを示すもの」として再構築された。この変遷を経て、テブリーダは騎馬による「伝統芸術」として定着したのである。


テブリーダの構成要素

テブリーダの実演は、以下のような重要な構成要素によって成り立っている:

騎馬隊(ソールバ)

「ソールバ」と呼ばれる一団の騎士(通常15~20名)が横一列に並び、完璧な同期を取りながら騎馬を操る。この一致団結こそがテブリーダの核心である。彼らの一糸乱れぬ動きと一斉射撃は、まるで一つの生命体のような統一感を生み出す。

使用される馬は「バルブ種」と呼ばれるモロッコ特有の品種で、耐久力と俊敏さに優れている。馬の飾り付けも極めて重要で、豪華な刺繍が施された鞍、飾り帯、装飾金具など、視覚的な美しさが重視される。

騎士の衣装

騎士たちは、白を基調とした伝統衣装を身にまとい、頭には「タルブーシュ」と呼ばれる帽子を被る。衣装は純潔、誇り、伝統の象徴とされ、時に部族固有の模様や刺繍が施される。

火薬銃(モスケット)

伝統的な火薬銃は、テブリーダのハイライトである「一斉射撃」に用いられる。この瞬間、全騎士が一斉に銃を天に向けて発砲し、轟音が空を裂く。完璧なタイミングでの発砲が成功すると、観衆からは大きな歓声が上がる。


精神的意義と象徴性

テブリーダには単なるパフォーマンスを超える精神的な意味がある。それは以下のような価値を象徴している:

  • 勇気と名誉:一糸乱れぬ集団行動と一斉発砲は、個人ではなく共同体の名誉を示すもの。

  • 団結:騎士団が一体となることで、部族や地域の団結力が誇示される。

  • 伝統の継承:祖先の知恵と武勇が、世代を超えて保存される場でもある。


フェスティバルと競技大会

モロッコ各地では、年中を通じてさまざまなテブリーダのフェスティバルが開催される。その中でも特に有名なのが「モロッコ王立農業・家畜フェスティバル(メクネス)」と、「エル・ジャディーダ国際馬術サロン」である。これらの場では、国内外の観光客がテブリーダの魅力を間近で体験できると同時に、競技としての側面も強調される。

大会では、以下のような評価基準が設けられている:

評価項目 内容
同期性 騎馬隊の動きや発砲のタイミングの一致度
騎士の所作 騎乗中の姿勢、衣装の整い方、銃の構え方
馬の調教 馬の動き、反応、騎士との一体感
火薬の響き 発砲の音の大きさと同時性
視覚的美しさ 衣装、馬具、騎士団全体の見栄え

このような厳格な基準のもと、最も優れた騎士団には王族から賞が授与されることもある。


文化遺産としての認定

ユネスコは2011年、テブリーダを「無形文化遺産」として正式に登録した。これにより、国際的にもテブリーダの重要性が認知され、保存・普及への取り組みが加速した。政府による支援も強化され、若い世代に向けたテブリーダ学校の設立、装備の提供、伝統衣装の再現プロジェクトなど、多方面にわたる努力が展開されている。


現代における挑戦と展望

テブリーダは現代社会においても力強く息づいているが、いくつかの課題も抱えている:

  • 都市化による伝統の希薄化:若者が都市に流出することで、伝統芸術の担い手が減少している。

  • 馬の飼育コスト:経済的負担が大きく、個人や部族での維持が難しくなってきている。

  • 観光商品化の危険:真の精神性や宗教的・文化的背景が軽視され、単なるアトラクションと見なされる懸念。

これらに対し、教育機関、文化庁、観光省が連携して、伝統の意義を再認識させる啓発活動を展開している。


結論

テブリーダは、モロッコという国の精神、歴史、誇りを体現する芸術である。騎士と馬が一体となって織りなす勇壮なパフォーマンスは、単なる視覚的スペクタクルにとどまらず、文化、アイデンティティ、団結、そして祖先への敬意の表現である。未来においても、この伝統が失われることなく、さらなる高みへと発展していくためには、教育と継承の仕組み、文化遺産としての保護、そして地元コミュニティの誇りが不可欠である。


参考文献

  • モロッコ文化遺産省『テブリーダの歴史と現在』2020年

  • ユネスコ公式資料:Intangible Cultural Heritage – Tbourida (Morocco)

  • フェス王立馬術学院調査報告書『バルブ馬の育成とテブリーダ』2018年

  • “Moroccan Equestrian Traditions: A Living Heritage” – Moroccan National Archives, 2019

Back to top button