「中国を開いた男」:イスラム世界から東アジアへの最初の扉を開いたサアド・イブン・アビー・ワッカースの物語
サアド・イブン・アビー・ワッカース(سعد بن أبي وقاص)は、イスラム教の預言者ムハンマドの側近として知られる著名な軍人・政治家・外交官であり、イスラム教を中国へと伝播したとされる人物の一人である。中国の歴史書や伝承、イスラム世界の史料の中で「中国を開いた男(فاتح الصين)」として名高く、イスラム文化が東アジアに進出する礎を築いた人物として知られている。

生涯と背景
サアド・イブン・アビー・ワッカースは、西暦595年頃、アラビア半島のメッカに生まれた。彼は預言者ムハンマドの初期の信奉者の一人であり、イスラム教徒として第4番目に改宗したとされる。また、預言者ムハンマドの叔父にあたる人物でもあり、家系的にも預言者と非常に近い存在であった。
若い頃から弓術と軍事戦略に秀でており、イスラム国家の初期の拡大に大きく貢献した。特に、カーディシーヤの戦い(636年)におけるサーサーン朝ペルシアへの勝利は、彼の軍事的才能を如実に示すものであり、イスラム帝国の版図を広げる上で決定的な一手となった。
中国への旅と使節団
イスラム教の拡大とともに、アッバース朝やウマイヤ朝は交易路や外交的影響力をアジア全域に拡大させようとした。伝承によると、西暦650年頃、第三代カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンはサアド・イブン・アビー・ワッカースを中国・唐王朝の皇帝・高宗(在位:649年 – 683年)のもとへ外交使節として派遣した。
この旅はアラビア半島からペルシア、中央アジアを経由し、敦煌や長安(現在の西安)に至るシルクロードを通る壮大な旅路であった。到着後、彼は中国皇帝にイスラム教の教えを伝え、文化・宗教・貿易における友好関係を築いたとされている。
広州の回教寺院とその伝説
中国南部の広州市には、「懐聖寺(ホアイシェン・モスク)」と呼ばれる中国最古のモスクがある。このモスクは7世紀にサアド・イブン・アビー・ワッカースによって建立されたとされており、その名は「聖人を懐かしむ寺」という意味を持つ。建築様式は中国的な屋根を持つが、内部は明確にイスラム教の祈祷様式に則って設計されている。
このモスクは現在でも信仰の場として使用されており、イスラム教が古くから中国に根を下ろしていた証拠として、中国国内外の研究者の注目を集めている。
墓と伝承
サアド・イブン・アビー・ワッカースの墓所として、中国の広州には彼の名を冠した墓「ワッカース墓(Sa’d ibn Abi Waqqas Tomb)」が存在する。この場所は中国国内のイスラム教徒にとって聖地の一つとされており、多くの巡礼者が訪れる。
ただし、彼の実際の没年や死亡地については諸説あり、一部の史料では彼はアラビア半島で亡くなったとされている。一方で、伝承では彼が中国でその生涯を閉じたと信じる者も多く、信仰と伝統の狭間で今なお語り継がれている。
歴史的意義と評価
サアド・イブン・アビー・ワッカースの中国への使節派遣は、単なる外交的なミッションにとどまらず、イスラム文化と中国文化の接点を生み出す転機となった。彼の訪中は以下のような点で画期的であった:
分野 | 貢献内容 |
---|---|
宗教 | イスラム教を中国へ紹介し、初期信者の形成に寄与 |
外交 | 唐王朝との平和的な外交関係の確立 |
経済 | シルクロードを通じた貿易の活性化 |
文化 | アラビアと中国の交流を通じて文化的融合を促進 |
イスラム史だけでなく、中国史においてもサアド・イブン・アビー・ワッカースの名前は重要な意味を持っている。彼の旅は、二大文明が初めて本格的に接触した瞬間の象徴であり、歴史の転換点となった。
中国におけるイスラム教のその後
彼の訪中以降、中国におけるイスラム教徒(回族と呼ばれる)の人口は時代と共に増加し、元朝(モンゴル帝国)時代にはさらに拡大した。彼の伝道の旅が一過性のものではなく、後の中国社会に深い影響を与えたことは明らかである。
中でも、明代には数多くのモスクが建設され、イスラム科学、天文学、医学などの知識も中国に紹介された。こうした文明の交流の端緒を開いた人物こそ、まさに「中国を開いた男」サアド・イブン・アビー・ワッカースである。
近代における評価と研究
近年では、中国と中東諸国との関係強化の中で、サアド・イブン・アビー・ワッカースの存在が再評価されている。中国国内の歴史研究者だけでなく、国際的なイスラム学者たちの間でも彼の足跡とその意義を再検討する動きが進んでいる。
特に、広州の懐聖寺や墓所の保存状態の改善、観光資源としての活用などを通じて、彼の名は再び注目されるようになっている。
結論
サアド・イブン・アビー・ワッカースは、単なる軍人でも外交官でもない。彼は文明の橋を架けた人物であり、イスラム世界と東アジア世界という二つの大河の接点を創り出した存在である。彼の名は歴史の深層に静かに息づきながら、今もなお東西交流の象徴として語り継がれている。
彼が開いた扉は、宗教・文化・貿易といった多層的な広がりを持ち、それは今日のグローバル社会にも通じる普遍的な価値を内包している。だからこそ、現代に生きる我々もまた、彼の旅と志に耳を傾ける必要がある。
参考文献
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伊藤義教『イスラム世界と東アジア:文明交流の原点』中央公論新社、2002年
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蘇州大学歴史系編『唐代外交とアラブ世界』人民出版社、2014年
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H. A. R. Gibb, The Travels of Ibn Battuta, Cambridge University Press, 1958
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Leslie, Donald Daniel. Islam in Traditional China, Canberra: Canberra College of Advanced Education, 1986
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Michael Dillon, China’s Muslim Hui Community: Migration, Settlement and Sects, Routledge, 1999