乳酸発酵(にゅうさんはっこう)の定義とその科学的意義:微生物代謝における中核的プロセスの解明
乳酸発酵(lactic acid fermentation)は、炭水化物、特にグルコースが酸素を使わずに分解され、その結果として乳酸(lactic acid)が生成される代謝過程である。このプロセスは嫌気性条件(酸素が存在しない環境)下で行われるものであり、主に細菌(特に乳酸菌)や、哺乳類の筋肉細胞において重要な役割を果たしている。乳酸発酵は、食品保存技術の根幹を支える伝統的な発酵プロセスとしても知られ、多くの乳製品や漬物などの食品製造において利用されている。

1. 生化学的な概要
乳酸発酵は解糖系(glycolysis)を起点とする代謝経路の一部であり、グルコースがピルビン酸(pyruvate)へと分解された後、このピルビン酸が酸化されることなく乳酸へと還元される。以下に、基本的な反応式を示す:
C₆H₁₂O₆(グルコース) → 2 CH₃CH(OH)COOH(乳酸)
この過程で、1分子のグルコースから2分子のATP(アデノシン三リン酸)が産生される。酸素が存在しない状況下でATPを生成する手段として、これはエネルギー収得の効率は低いが、速やかにエネルギーが必要な際に有用である。
2. 種類と分類
乳酸発酵は、主に以下の2つの形態に分類される:
2.1 ホモ乳酸発酵(Homolactic fermentation)
この形態では、グルコース1分子からほぼすべてが乳酸2分子に変換される。ATPの生成量は多く、エネルギー効率に優れている。主にLactococcus属やStreptococcus属の乳酸菌がこの形態を取る。
2.2 ヘテロ乳酸発酵(Heterolactic fermentation)
こちらは乳酸だけでなく、エタノール、酢酸、二酸化炭素などの副生成物も同時に生成される経路である。Leuconostoc属やWeissella属の一部がこの発酵形式を行う。
分類 | 生成物 | 主な菌種 |
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ホモ乳酸発酵 | 乳酸のみ | Lactobacillus acidophilus, Streptococcus thermophilus |
ヘテロ乳酸発酵 | 乳酸、エタノール、CO₂など | Leuconostoc mesenteroides, Lactobacillus brevis |
3. 微生物学的背景
乳酸発酵を行う微生物群は総称して「乳酸菌(lactic acid bacteria; LAB)」と呼ばれ、グラム陽性、非芽胞形成、嫌気性または通性嫌気性の細菌である。彼らは酸に対する耐性を持ち、pHの低い環境下でも増殖が可能であり、食品の保存性向上に寄与する。
代表的な乳酸菌の例:
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Lactobacillus属
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Lactococcus属
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Streptococcus属
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Leuconostoc属
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Pediococcus属
4. 生理学的役割と応用
4.1 動物細胞における役割
ヒトを含む哺乳類の筋肉細胞は、酸素供給が不足した際に乳酸発酵を行うことでATPを供給する。運動中に筋肉へ酸素が十分に供給されない状態(無酸素運動)では、ピルビン酸が乳酸に還元され、短時間の間エネルギー供給を維持する。
しかし、乳酸が蓄積することで筋肉のpHが低下し、いわゆる「筋肉痛」や疲労感が生じる。
4.2 食品産業における応用
乳酸発酵は食品の風味、保存性、栄養価を向上させるために広く利用されている。以下は代表的な応用例である:
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ヨーグルト:牛乳中の乳糖が乳酸に発酵され、pHの低下によりたんぱく質が凝固する。
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キムチ・漬物:野菜中の糖分が乳酸菌により発酵され、酸味と保存性を向上。
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サワードウ(sourdough):乳酸菌と酵母の共生により発酵が進行し、独特の風味が生まれる。
5. 産業的・医療的意義
5.1 プロバイオティクスとしての機能
乳酸菌は腸内フローラを改善する「プロバイオティクス」としても注目されている。乳酸による腸内pHの低下は、病原菌の増殖を抑制し、免疫機能の活性化、アレルギー症状の緩和、消化の促進など多様な健康効果をもたらす。
5.2 バイオテクノロジーへの応用
近年、再生可能エネルギー源やバイオプラスチックの原料として乳酸の工業的生産が注目されている。遺伝子組換え技術を用いて高効率で乳酸を生産する微生物が開発されており、持続可能な化学製品の原料としての価値が高まっている。
6. 乳酸発酵の環境的影響と課題
乳酸発酵自体は環境に優しいプロセスであり、特に食品廃棄物を原料として利用することで廃棄物削減にも貢献できる。しかし、以下のような課題も存在する:
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発酵過程における副生成物の処理
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高純度乳酸の分離・精製コスト
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菌株の耐性や安定性の確保
これらの課題は、微生物育種、バイオリアクター設計、プロセス工学の進歩により克服されつつある。
7. 今後の展望
次世代の乳酸発酵技術は、遺伝子編集(CRISPR-Cas9など)や合成生物学の技術を取り入れることで、より精密かつ高効率な生産プロセスの実現が期待されている。加えて、乳酸菌由来の機能性ペプチドや、抗菌性物質の生産など、医薬・健康産業への応用も活発化している。
特に、機能性食品(functional foods)の分野において、乳酸発酵技術は重要な鍵を握っている。これにより、単なる保存技術から、「健康を設計する発酵」への転換が進行しているのである。
参考文献
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Axelsson, L. (2004). Lactic acid bacteria: classification and physiology. In Lactic Acid Bacteria (pp. 1–66). CRC Press.
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Holzapfel, W. H., & Wood, B. J. B. (2014). The Lactic Acid Bacteria. Springer.
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Tamang, J. P., et al. (2020). Fermented Foods in a Global Age: East Meets West. Comprehensive Reviews in Food Science and Food Safety, 19(1), 184–217.
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Hammes, W. P., & Hertel, C. (2009). The genera Lactobacillus and Carnobacterium. In Ecology of Lactic Acid Bacteria.
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FAO/WHO. (2002). Guidelines for the Evaluation of Probiotics in Food.
乳酸発酵は単なる食品加工の技術ではなく、微生物代謝の本質に迫る科学的テーマであると同時に、現代社会の持続可能性、健康、産業の未来を担う重要な鍵でもある。微生物という見えざる存在がもたらす恩恵を、我々は科学を通じてさらに深く理解し、活用していくことが求められている。