海と海洋

二つの海の合流点

مرج البحرين(マルジュ・アル・バフレイン)」という語は、アラビア語で「二つの海の合流点」を意味し、イスラームの聖典クルアーンにおいても言及される神秘的かつ象徴的な地理的概念である。本稿では、この語が指す可能性のある実在の地理的地点とその宗教的・神話的背景、そして科学的視点からの解釈を、包括的かつ体系的に考察する。


クルアーンにおける「مرج البحرين」の記述と意味

「مرج البحرين」は、クルアーンのスーラ・アッ=ラフマーン(第55章)において登場する節に記されている。

「マルジャ・ル=バフライニ ヤルタキヤーン(二つの海を解き放ち、それらは出会う)」

「バイナフマ バルズァフン ラ ヤブガヤーン(その間には障壁があり、互いに越えない)」

この節において、神が創造した自然の驚異として、互いに交わらない二つの海が語られる。ここでは、海水と淡水、あるいは異なる性質の海流が交わるが混ざらない現象を示唆していると解釈されている。


地理的候補地の考察

クルアーンにおける記述を踏まえ、過去から現代にかけて「مرج البحرين」がどこを指しているのか、様々な地理学者やイスラム学者、歴史家たちによって数多くの仮説が提案されている。以下では、その代表的な候補地について詳細に分析する。

1. ペルシャ湾とアラビア海の合流点(ホルムズ海峡)

この地点は、ペルシャ湾とアラビア海が交わる海域であり、塩分濃度や水温、海流が異なる海水がぶつかり合う場所である。NASAの衛星画像により、実際に異なる色の海水が交差する様子が確認されており、科学的にも「二つの海が混ざらない」ように見える現象が確認されている。

2. 地中海と大西洋の接点(ジブラルタル海峡)

この海峡もまた、二つの異なる海域が接する地点である。地中海は塩分濃度が高く温かい水を持ち、大西洋は比較的塩分が低く冷たい。この違いにより、混ざることなく互いに層を形成するという「バリア現象」が観測されている。海洋学的には、密度の違いによって自然に層が生じ、視覚的に異なる海が存在するように見える。

3. アフリカのセネガル川河口(セネガルと大西洋の交差点)

アフリカ西部では、セネガル川の淡水が大西洋に流れ込む地点において、青色と茶色の明確な境界が生じることがある。これは、土砂を多く含んだ淡水と、比較的透明な塩水が混ざりにくいためであり、このような自然現象もまた「مرج البحرين」の現代的な表現と解釈されることがある。


科学的視点からの解釈

海洋学の分野では、「二つの海が混ざらない」という現象は、水温・塩分濃度・密度・流速の違いにより生じる現象として知られている。これを「ハロクライン(塩分躍層)」や「サーモクライン(温度躍層)」として分類し、層状に分離する水塊が形成される。

たとえば、メキシコ湾に存在する「水中河川(アンダーウォーターリバー)」は、塩分濃度の異なる海水が層を成して川のように流れる現象であり、海中に「川」が存在するかのように見える。このような現象が、古代人の目には「海と海が交わっても混ざらない」と映った可能性は非常に高い。


神話的・象徴的意味合い

イスラム神秘主義(スーフィズム)においては、「مرج البحرين」は物理的な場所だけでなく、象徴的な意味を持つとされている。例えば、「知と信」、「肉体と魂」、「現世と来世」など、相反する二つの要素が同時に存在しつつ、互いに侵食しない状態を表すとも解釈されている。

さらに、クルアーンの記述においては、「مرج البحرين」の後に「パールやコーラルが生まれる場所」として言及される。これは、相反するものの交差点において新しい命や価値が生まれるという、創造的象徴としての読みも存在する。


歴史的観測と航海者の証言

イスラム黄金時代に活躍した地理学者たち、特にアル・イドリースィーやアル・ビールーニーらの記述には、「مرج البحرين」に似た自然現象がいくつか記録されている。彼らは、異なる水の「層」が視覚的に確認できる地点や、味の異なる水の境界線に注目し、それを地図や書物に記録している。

また、15世紀のポルトガル人航海者やアラビア半島の交易者たちも、ホルムズ海峡やジブラルタルにおける「二つの海の境界」を航海中に観察し、それを驚異的な自然現象として報告している。


「مرج البحرين」の現代的意義と環境的教訓

現代において「مرج البحرين」という概念は、単なる自然現象の驚異にとどまらず、環境的メッセージとしての再解釈も求められている。異なる生態系や水域が絶妙なバランスで共存するこれらの地域は、極めて繊細な環境を形成しており、外的要因(汚染・乱開発・温暖化)により容易に崩壊しうる。

特に、湾岸地域やアフリカ沿岸では、海洋汚染が進行しており、従来の「境界」が曖昧になりつつある。これは、神が定めた自然の「障壁」が人間の手によって壊されているという象徴的な警鐘とも解釈できる。


結論

「مرج البحرين」とは、宗教・科学・神話・象徴が交差する複合的な概念であり、その正確な地理的特定は一元的に定められるものではない。しかし、ホルムズ海峡やジブラルタル海峡、アフリカ西岸の河口などが有力な候補として挙げられており、いずれも科学的にその現象が裏付けられる場所である。

また、クルアーンがこの現象を取り上げることにより、自然の秩序と神の創造の偉大さ、そして異なるものが調和的に共存する可能性を示唆している点に注目すべきである。

最終的には、「مرج البحرين」は実在の地点でありながら、人間社会の分断と融和、対立と共存、破壊と創造といった普遍的テーマを私たちに問いかけるメタファーでもある。その深淵な意味を理解しようとする努力こそが、現代における真の探求と言えるだろう。

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