「第二世界」とは、冷戦時代において、アメリカとソ連を中心とする東西ブロックの対立の中で使用されていた分類の一つです。冷戦時代、世界の国々は大きく二つの勢力に分かれ、アメリカとその同盟国で構成された「第一世界」と、ソ連とその衛星国で構成された「第二世界」、そしてそれ以外の中立的な「第三世界」に分けられました。
第二世界の定義とその背景
第二世界とは、かつてソビエト連邦(現在のロシア連邦)を中心とした共産主義国家群のことを指していました。これには、東ヨーロッパ諸国、アジアのいくつかの国々、さらにはアフリカの一部の国々が含まれました。これらの国々は共産主義または社会主義の政治体制を採用し、経済的には計画経済を基盤としていました。

冷戦期における「第一世界」とは、資本主義経済を基盤にして民主主義を採る国々であり、アメリカ合衆国やその同盟国で構成されていました。一方で、第二世界はソ連の影響下にあり、マルクス・レーニン主義を基にした社会主義体制が強固に存在しました。この対立は、核兵器や経済援助、そして戦争の危機という形で長い間世界を緊張させ続けました。
第二世界の国々
第二世界の国々は、冷戦が終結する1990年代初頭まで、ソ連またはその影響下にありました。これらの国々は大きく分けて次のような地域に存在しました。
1. 東ヨーロッパ諸国
第二世界を代表する国々として、東ヨーロッパの国々が挙げられます。これらの国々は、ソ連によって設立された衛星国として、共産主義体制を敷いていました。主な国々には以下のようなものがあります:
-
ポーランド
-
チェコスロバキア(現在のチェコ共和国とスロバキア)
-
ハンガリー
-
ルーマニア
-
ブルガリア
-
東ドイツ(現在のドイツ)
これらの国々はソ連の影響を受け、経済や政治の面で計画経済を採用し、自由市場経済とは異なる体制で運営されていました。冷戦の終結とともに、これらの国々は独立し、市場経済と民主主義を採用するようになりました。
2. 中華人民共和国(中国)
中国は第二世界の中で最も重要な国の一つでした。ソ連と共産主義を共有し、冷戦時代においてはソ連とともに「社会主義陣営」を形成していました。しかし、1970年代に入り、毛沢東の死後、鄧小平の改革開放政策が始まり、市場経済の導入と共に世界経済に組み込まれていきました。現在の中国は、共産主義党の支配の下にありながらも、実質的には資本主義的な経済体制を採用しています。
3. キューバとその他のラテンアメリカの国々
キューバは冷戦時代において、ソ連と強い関係を持っていた国の一つです。1959年にフィデル・カストロが共産主義革命を起こし、ソ連の支援を受けて共産主義体制を確立しました。また、ラテンアメリカの一部の国々も社会主義運動を背景にソ連との関係を深めました。
4. アジアの共産主義国
アジアにおいても、第二世界に属する国々が存在しました。これには、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ベトナム、ラオス、カンボジアなどが含まれます。これらの国々も共産主義体制を採用し、ソ連と密接に連携していました。
第二世界の崩壊とその後
第二世界は、ソ連の崩壊とともに終焉を迎えました。1991年12月にソ連が解体し、その影響を受けていた多くの国々は独立を果たしました。東ヨーロッパの多くの国々は、民主主義体制と市場経済を採用し、EU(欧州連合)に加盟するなど、政治的・経済的な改革を進めました。
一方、中国や北朝鮮などの国々は、共産党の支配を続ける一方で、経済的には市場経済を取り入れた改革を行い、それぞれ独自の道を歩んでいます。現在では、第二世界という概念自体があまり使われることはなく、代わりに「発展途上国」や「新興国」などの分類が行われています。
現代における第二世界の影響
第二世界の国々の多くは、冷戦の終結後に急速に発展し、一部は世界経済の重要なプレーヤーとなっています。例えば、中国は世界第二の経済大国として台頭し、グローバルな影響力を持つようになりました。また、旧東ヨーロッパ諸国は、EUの一員として政治・経済的な安定を得ることができました。
それでも、第二世界の影響を受けていた国々の多くは、依然として経済的・政治的な課題に直面しています。特に、社会主義から市場経済への移行における困難や、国際的な地位の再構築には時間がかかっています。
結論
第二世界という概念は、冷戦時代において非常に重要でしたが、冷戦の終結とともにその重要性は薄れました。それでも、第二世界に属していた国々は、歴史的な背景や冷戦の影響を色濃く受けており、その後の改革や発展の過程は非常に注目に値します。現在では、これらの国々がどのようにグローバル経済や政治に影響を与えているかを理解することが、現代社会を理解するために欠かせません。