墓の「 تجصيص(じしつ)」とは何か――イスラーム的観点とその意味、歴史的背景から現代の議論まで
墓の「** تجصيص(じしつ)**」という言葉は、アラビア語に由来する「tajsīs(تَجْصِيص)」の日本語音写であり、直訳すると「石灰や漆喰で塗ること」あるいは「外装を固めること」を意味する。特にイスラーム文化圏においてこの語は墓や墓標の処理方法に関する宗教的慣習と深く関わっており、預言者ムハンマドの教えに基づいて是非が議論される重要な宗教的テーマのひとつである。
墓の تجصيص(じしつ)とは何か
墓の تجصيصとは、墓を漆喰や石灰で塗ったり、固めたりして見た目を整える作業である。イスラーム世界においては、これが単なる美観のためだけでなく、宗教的・文化的意義を伴う行為であることから、実施の是非が多くの学者の間で議論されてきた。
預言者ムハンマドのハディースにおける言及
イスラームの信仰体系において、墓の تجصيصはしばしば禁忌として扱われる。スヒーフ・ムスリムやスヒーフ・ブハーリーといった信頼性の高いハディース集には、預言者ムハンマドが以下のように述べたとされる有名な伝承が存在する。
「私は三つのことを禁じた。墓を石灰で塗ること(تَجْصِيص)、建物を建てること、そしてそれの上に座ること。」
このハディースはサヒーフ(正確で信頼性のある)として分類され、多くの学者によって信仰実践の根拠とされている。
なぜ تجصيصは禁じられるのか?
この教えの背後には、謙虚さと平等性というイスラームの核心的価値観がある。墓の تجصيصを禁ずる理由として、以下のような宗教的・社会的目的が挙げられる。
| 禁止理由 | 説明 |
|---|---|
| 虚栄心の抑制 | 裕福な者が贅沢な墓を建て、貧しい者との差が広がることを防ぐ。 |
| 偶像崇拝の防止 | 墓が過度に装飾されることで、死者への礼拝や祈願が起きる危険がある。 |
| 謙虚な信仰実践 | イスラームは、死後の世界では地位や富が無意味であることを教える。 |
| シャリーアへの準拠 | 預言者の教えを直接的に実践することが信仰上の義務であるとされる。 |
法学派ごとの見解
イスラーム法学においては、4つの主要な法学派(ハナフィー、マーリキー、シャーフィイー、ハンバリー)が存在し、それぞれ墓の تجصيصに対する見解が微妙に異なる。
| 法学派 | 見解 |
|---|---|
| ハナフィー派 | 墓の تجصيصは基本的に望ましくないが、特定の事情により許容されることもある。 |
| マーリキー派 | 墓を飾ること全般に否定的で、漆喰も原則として避けるべきとされる。 |
| シャーフィイー派 | 預言者の教えを重視し、墓に漆喰を用いることを原則禁止とする。 |
| ハンバリー派 | 最も厳格に捉え、墓の建造・塗装を明確に禁じる傾向が強い。 |
このように、 تجصيصの禁止は預言者の明言された言葉に基づきながらも、法学的には状況に応じてある程度の柔軟性がある。
現代社会における تجصيصの実情と課題
今日のイスラーム諸国においては、宗教的規範がある一方で、文化的・地域的な慣習が実際の墓のデザインに強く影響を及ぼしている。特に都市化や経済成長に伴って、豪華な墓や装飾された墓碑が一般的になりつつある地域もある。
たとえば、エジプトやパキスタン、インドネシアなどの国々では、故人の社会的地位を反映するような墓が建てられることが少なくない。これらの実践は、預言者の教えに反するとして批判される一方で、家族の敬意や文化的伝統の一環として擁護されることもある。
墓の تجصيصに関する現代のファトワー(宗教的見解)
現代の宗教学者たちは、以下のような状況において限定的に تجصيصが許容される可能性があると示唆している。
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墓の識別のため:識別を目的とし、簡素な仕上げにとどまるならば容認可能。
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墓の保護目的:風雨による浸食を防ぐため、最小限の塗装を行う。
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社会的混乱を避けるため:すでに墓に漆喰が使われている文化的慣習の中で争いを避けるための便宜的措置。
これに対し、死者を神格化したり、墓参りが宗教的行事のようになるような行為には、依然として強い批判がある。
墓地管理とイスラーム建築
墓のデザインに関して、歴史的にはイスラーム建築の中にも墓廟(マウソレウム)と呼ばれる形式が存在する。著名なものとしては、タジ・マハル(インド)やスレイマニエ・モスク(トルコ)に併設された墓が挙げられる。これらは王侯貴族のために建てられた特別な施設であり、一般的な信者の墓とは異なる。
その一方で、スンナ派の多くの学者たちは、一般信者が同様の建築を真似ることを強く戒めており、信仰の平等性という理念を重視する傾向が強い。
結論: تجصيصという行為の意味とその本質
墓の تجصيصという行為は、単なる建築上の処理ではなく、信仰、倫理、文化、社会秩序といった複数の次元にまたがる重要な宗教的テーマである。預言者ムハンマドが遺した教えに基づけば、それは基本的に避けるべき行為であり、死後の世界における人間の平等性、謙虚さ、神への服従といった核心的価値を損なわないよう慎重に考慮されるべきである。
一方で、現代社会の文脈においては、宗教的原則と文化的現実の間に折り合いをつけるための柔軟な解釈も必要となっている。重要なのは、外見や装飾にとらわれることなく、死者のために祈り、善行を通じてその魂を慰めるという本質的な目的を見失わないことである。
参考文献:
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Sahih Muslim, Kitab al-Jana’iz
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Sahih Bukhari, Kitab al-Jana’iz
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Ibn Qudamah, Al-Mughni, Dar al-Kutub al-Ilmiyyah
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Al-Nawawi, Sharh Sahih Muslim
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Yusuf al-Qaradawi, “Fiqh al-Jana’iz”
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Muhammad Nasiruddin al-Albani, “Ahkam al-Jana’iz”
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Dar al-Ifta al-Misriyyah, Official Fatwa Portal
信仰の実践は一様ではなく、敬虔さと知識に基づいた判断が求められる。 تجصيصの問題は、その象徴的な行為を通して、われわれがいかに死と向き合い、いかに謙虚に生きるべきかを問いかけているのである。
