妊娠後期、特に妊娠8か月目における「妊娠高血圧腎症(いわゆる『妊娠中毒症』)」は、母体および胎児の両方に重大な健康リスクをもたらす可能性がある深刻な合併症である。この記事では、妊娠8か月における妊娠高血圧腎症(以下、便宜的に「妊娠中毒症」とも記す)に焦点を当て、その原因、病態生理、診断、リスク因子、症状、治療法、合併症、予後、予防法に至るまで、科学的かつ網羅的に解説する。
妊娠中毒症の定義と分類
妊娠中毒症は、妊娠20週以降に発症する高血圧と、それに伴う蛋白尿または他の臓器障害を特徴とする症候群である。とくに妊娠8か月、すなわち妊娠第3三半期の中盤から後半においては、症状が急速に進行する場合があり、早期発見・対応が重要である。

妊娠中毒症は以下のように分類される:
分類名 | 定義 |
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妊娠高血圧(GHT) | 血圧が140/90 mmHg以上だが蛋白尿がない状態 |
軽度妊娠中毒症(軽症前期破水) | 高血圧 + 蛋白尿(300mg/日以上) |
重度妊娠中毒症 | 高血圧 + 高度蛋白尿 + その他症状(頭痛、視覚障害、肝機能障害、腎機能障害、胎児発育遅延など) |
子癇(しかん) | 痙攣を伴う重度の妊娠中毒症 |
発症のメカニズムと病態生理
妊娠中毒症の主な病態は、胎盤の形成異常による血管内皮障害と考えられている。特に妊娠8か月においては胎盤の酸素需要がピークに達し、胎盤への血流不足(胎盤灌流低下)が明確化することで症状が顕在化しやすくなる。
病態生理の中心は以下のプロセスにある:
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胎盤形成異常:絨毛細胞の侵入が不十分で、子宮動脈の再構築がうまくいかない。
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胎盤低灌流:胎盤に十分な血液が供給されず、低酸素状態となる。
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血管内皮障害:胎盤由来の抗血管拡張因子(sFlt-1など)が母体循環に流出し、母体の血管内皮機能が障害される。
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全身性の炎症反応と高血圧:内皮機能障害により血圧上昇、腎機能障害、蛋白尿が出現する。
妊娠8か月でのリスク因子
妊娠中毒症の発症リスクは複数存在し、妊娠8か月ではこれらのリスク因子が顕在化しやすくなる。以下のような要因が関連している:
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初産婦
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高齢妊娠(35歳以上)
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既往歴(前回妊娠時に妊娠中毒症を経験)
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多胎妊娠(双子以上)
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肥満(BMI ≥ 30)
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糖尿病、慢性高血圧、腎疾患の既往
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自己免疫疾患(SLE、抗リン脂質抗体症候群など)
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家族歴(母親や姉妹に妊娠中毒症の経験)
妊娠8か月での臨床症状
妊娠中毒症の症状は多岐にわたり、母体と胎児の双方に影響を及ぼす。妊娠8か月に見られる主な症状は以下の通り:
症状 | 説明 |
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高血圧 | 収縮期血圧140mmHg以上、または拡張期血圧90mmHg以上 |
蛋白尿 | 24時間尿中蛋白量300mg以上、または尿試験紙で+1以上 |
浮腫 | 顔面や手指のむくみ、体重急増(1週間で2kg以上) |
頭痛・視覚障害 | 脳浮腫や脳血流異常による |
肝臓・腎臓障害 | AST/ALT上昇、クレアチニン上昇、尿量減少など |
胎児発育遅延 | 胎盤機能不全により胎児の発育が停止または遅延 |
胎動の減少 | 胎児仮死の前兆となることもある |
診断方法とモニタリング
妊娠8か月における妊娠中毒症の診断は、以下の臨床・検査所見に基づく:
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血圧測定(最低2回、4時間以上間隔を空けて計測)
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尿蛋白検査(試験紙法または24時間尿)
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血液検査(AST、ALT、LDH、尿酸、血小板数、クレアチニン)
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胎児超音波(胎児発育評価、羊水量)
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ノンストレステスト(NST):胎児心拍の評価
妊娠中毒症と診断された場合は、母体および胎児の状態を週2回以上の頻度で継続的にモニタリングする必要がある。
治療戦略と管理
妊娠中毒症の唯一の根本治療は「分娩」である。しかし、妊娠8か月(32〜36週)の時点では、胎児の成熟が不十分な場合もあるため、分娩時期の判断は極めて慎重に行う必要がある。
軽症例の場合:
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自宅または入院管理(安静、塩分制限、定期検査)
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血圧管理(ラベタロール、メチルドパなど妊娠中でも安全な降圧薬)
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胎児モニタリングの継続
重症例の場合:
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入院管理が必須
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血圧180/110 mmHg以上では緊急降圧(ヒドララジン、ニカルジピン)
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マグネシウム硫酸投与(痙攣予防)
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胎児肺成熟のためのステロイド投与(ベタメタゾン)
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分娩誘発または帝王切開(母体または胎児の状態による)
合併症と予後
妊娠8か月の妊娠中毒症は、以下のような合併症を引き起こす可能性がある:
合併症名 | 内容 |
---|---|
子癇 | 全身性の強直間代性痙攣、母体死亡率高 |
HELLP症候群 | 溶血、肝酵素上昇、血小板減少を伴う重症型 |
胎盤早期剥離 | 胎盤が子宮から早期に剥がれる緊急事態 |
胎児仮死 | 胎児の酸素不足による心拍低下や死亡 |
DIC(播種性血管内凝固) | 出血傾向と血栓形成を同時に伴う危機的病態 |
早期発見と適切な管理により、これらの合併症の発生を予防または軽減することが可能である。
予防と再発予防のための戦略
妊娠中毒症は完全に予防することは難しいが、以下の戦略によりリスクの軽減が期待される:
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妊娠初期からの定期的な妊婦健診
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低用量アスピリンの投与(高リスク群に推奨)
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適正な体重管理(BMIの維持)
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塩分摂取の制限とバランスの良い食事
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ストレス管理と十分な睡眠
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既往歴のある女性へのプレコンセプション・カウンセリング
再発率は30〜50%と高いため、次回妊娠時には特別な管理計画が必要となる。
参考文献(文献調査に基づく科学的根拠)
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日本産科婦人科学会. 「産婦人科診療ガイドライン 産科編2020」.
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Sibai BM. “Diagnosis and management of gestational hypertension and preeclampsia.” Obstet Gynecol. 2003.
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Redman CW, Sargent IL. “Placental stress and pre-eclampsia: a revised view.” Placenta. 2009.
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Rana S, Lemoine E, Granger JP, Karumanchi SA. “Preeclampsia: pathophysiology, challenges, and perspectives.” Circ Res. 2019.
妊娠8か月での妊娠中毒症は、妊婦と胎児に対して重大な影響を与える可能性のある状態であり、医学的には緊急性の高い病態である。日本における周産期医療の現場では、これを早期に発見し、個別に最適化された医療介入を行うことで、多くの母子が健康な分娩を迎えている。今後も、妊娠中毒症に対する科学的理解と予防医療の充実が求められる。