妊娠の健康

授乳中のピル影響

母乳育児中の避妊方法として、ホルモンを用いた「経口避妊薬(通称:ピル)」の使用は長らく議論の的となってきた。とりわけ、ピルが母乳の量や質、乳児の健康に与える潜在的な影響について、多くの研究と観察がなされている。本稿では、ピルと母乳育児の関係性を科学的かつ体系的に考察し、授乳中の女性が安全に避妊を行うための情報を包括的に提供する。


ホルモン避妊薬の種類とその成分

経口避妊薬は大きく分けて2種類ある。一つはエストロゲンとプロゲスチンを含む「複合ホルモン剤(コンバインド・ピル)」であり、もう一つはプロゲスチン単独の「プロゲスチン-only ピル(POP、通称:ミニピル)」である。これらは避妊効果が高く、正しく使用すれば98%以上の確率で妊娠を防ぐことができる。

授乳中にどちらのピルを使用するかという点において、エストロゲンの存在が重要なポイントになる。エストロゲンは乳腺におけるプロラクチンの作用を阻害する可能性があり、母乳の産生量を低下させることが懸念されている。


母乳への影響:科学的根拠に基づく分析

エストロゲン含有ピルと母乳量の関係

複数の臨床試験では、エストロゲン含有ピルが母乳の分泌量を減少させる可能性が示されている。例えば、1986年に行われたWHOの多国籍研究では、エストロゲンを含むピルを産後6週間以内に開始した女性の多くで母乳量の顕著な減少が見られた。このことから、産後すぐの時期にエストロゲンを含むホルモン剤を使用することは推奨されないとされている。

また、エストロゲンは乳腺の発達やプロラクチンの作用を妨げるため、乳汁の分泌そのものだけでなく、授乳の質にも影響を与える可能性がある。

プロゲスチンのみピルの影響

一方で、プロゲスチンのみを含むピルは、母乳分泌への影響が少ないとされている。1970年代から2000年代にかけて行われた複数の研究では、POP使用者の母乳量が非使用者と比較して統計的に有意な差を示さなかった。また、プロゲスチンは乳汁に微量移行するものの、乳児に有害な影響を及ぼしたという明確な報告は現在まで確認されていない。

したがって、授乳を継続したい母親にとって、プロゲスチン-only ピルは比較的安全性の高い選択肢となりうる。


授乳期におけるホルモンの移行と乳児への影響

ホルモン避妊薬の有効成分は、経口摂取後に血流を通じて乳汁中にも微量ながら移行する。プロゲスチン成分の一部は乳汁中に移行するが、その濃度は通常、乳児の体重1kgあたり数ナノグラムレベルと非常に微量であり、乳児のホルモンバランスに影響を与えるリスクは極めて低いとされている。

複数の研究では、プロゲスチンを含むピルを使用した授乳女性からの母乳を摂取した乳児において、成長パターン、発育、免疫機能、神経発達に明確な異常は報告されていない。これにより、WHO(世界保健機関)および米国小児科学会(AAP)は、POPの使用を母乳育児中でも「基本的に安全」として推奨している。


推奨される避妊開始時期と注意点

一般的に、出産後すぐの時期(特に産後6週間以内)は、エストロゲンを含む避妊薬の使用は避けるべきとされる。理由は上述の通り、母乳分泌への影響と血栓症リスクの増加である。

以下の表は、産後の時期とホルモン避妊薬使用の推奨レベルを示したものである。

産後の期間 エストロゲン含有ピル プロゲスチンのみピル(POP)
~6週間未満 使用推奨されない 慎重に使用可
6週間~6ヶ月 非推奨または慎重使用 使用可能
6ヶ月以降 使用可能(要相談) 使用可能

なお、完全母乳(母乳以外の栄養を与えていない状態)でかつ定期的に授乳が行われている場合、産後6ヶ月以内であれば、Lactational Amenorrhea Method(LAM:授乳性無月経法)という自然避妊法が有効であることも知られている。


その他の避妊法との比較

授乳期におけるホルモン避妊薬以外の選択肢としては、以下のような方法がある。

  • 銅付加IUD(避妊用子宮内器具):ホルモン不使用で、授乳に影響なし。

  • 避妊インプラント(プロゲスチン):長期間有効で、授乳中の使用も安全とされている。

  • 避妊注射(デポプロベラ):プロゲスチン製剤であり、授乳への影響は少ないが、骨密度低下の懸念あり。

  • バリア法(コンドーム、子宮頸管キャップ):ホルモン非使用で授乳に影響しない。


医療機関での相談の重要性

ホルモン避妊薬の選択は、個々の女性の体質、既往歴、授乳状況、今後の妊娠希望などに基づいて慎重に判断されるべきである。特に、出産直後や母乳育児に課題を感じている場合、自己判断でのホルモン避妊薬使用は避けるべきであり、医師または助産師への相談が不可欠である。


結論

授乳中のホルモン避妊薬使用に関する科学的知見を総合すると、以下のような結論に至る:

  1. エストロゲンを含むピルは、授乳初期において母乳量を減少させるリスクがあるため避けるべきである

  2. プロゲスチンのみピルは、授乳中の女性にとって安全性が高い選択肢とされている

  3. ホルモンは乳汁中に微量移行するが、乳児への健康被害はほとんど報告されていない

  4. 避妊方法の選択は、医療専門家のアドバイスを受けながら行うべきである

現代の母親たちは、育児と同時に自らの身体と将来設計を真剣に考える必要がある。その中で、安全で効果的な避妊方法の選択は不可欠な判断であり、科学的根拠に基づいた情報提供が今後ますます重要になってくる。


参考文献

  1. World Health Organization (WHO). (1986). “Progestogen-only oral contraceptives during lactation.” WHO Collaborative Study.

  2. American Academy of Pediatrics (AAP). (2012). “Breastfeeding and the Use of Human Milk.”

  3. Faculty of Sexual & Reproductive Healthcare (FSRH). (2017). “Contraceptive choices for breastfeeding women.”

  4. Kapp, N., Curtis, K. M. (2010). “Use of hormonal contraceptives among breastfeeding women: a systematic review.” Contraception, 82(1), 10-16.

  5. Trussell, J. (2011). “Contraceptive Efficacy.” In: Hatcher, R.A. et al. Contraceptive Technology. 20th ed.

Back to top button