イスラームにおいて、クルアーン(イスラームの聖典)には「スジュード・アッ=ティラーワ」と呼ばれる特別な礼拝の動作が求められる箇所が存在する。これは「読誦の際の礼拝(サジダ)」と訳され、クルアーンの特定の節(アーヤ)を読んだり聞いたりした際に、信者がアッラーに謙遜と敬意を表すためにひれ伏す(スジュード)行為を行うことを指す。この行為は、日常の礼拝とは異なるが、非常に推奨されるスンナ行為として広く実践されており、その宗教的な価値と深い精神的意味は計り知れない。
クルアーンにおけるスジュード・アッ=ティラーワの箇所数
スジュード・アッ=ティラーワは、クルアーンの中に明示的に存在する「スジュード・アーヤ」に基づいている。これらは、読者または聞き手に対し、アッラーの偉大さや権威を前にして頭を下げて礼拝するように促す節である。
クルアーンには全部で15箇所のスジュード・アーヤが存在する。以下に、その概要を詳述する。
| 番号 | スーラ(章)名 | アーヤ(節)番号 |
|---|---|---|
| 1 | アル・アラーフ(第7章) | 206 |
| 2 | ラアド(第13章) | 15 |
| 3 | ナフル(第16章) | 26 |
| 4 | イスラー(第17章) | 109 |
| 5 | マリヤム(第19章) | 58 |
| 6 | ハッジ(第22章) | 18 |
| 7 | ハッジ(第22章) | 77 |
| 8 | フルカーン(第25章) | 60 |
| 9 | ナムル(第27章) | 26 |
| 10 | サジュダ(第32章) | 15 |
| 11 | サード(第38章) | 24 |
| 12 | フスィラト(第41章) | 38 |
| 13 | ナジュム(第53章) | 62 |
| 14 | インシャカーク(第84章) | 21 |
| 15 | アラカ(第96章) | 19 |
この中で、スーラ・サード(第38章)のスジュードは、ある学派(マズハブ)によっては「感情的なスジュード」と見なされるため、実際の数を14とする場合もあるが、広く15箇所と認識されているのが一般的である。
スジュード・アッ=ティラーワの実施方法
スジュード・アッ=ティラーワは、クルアーンの読誦中に上記のいずれかの節に到達した際、またはそれを聞いた場合に行われる。具体的な実施方法は以下の通りである:
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礼拝の状態(ウドゥー)があることが望ましい。
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キブラ(聖地メッカの方向)を向く。
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「アッラーフ・アクバル」と言って、サジダの姿勢(地面にひれ伏す)に入る。
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通常のサジダの祈祷(スブハーナ・ラッビー・アル=アアラー)を述べる。
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その後、「アッラーフ・アクバル」と言って立ち上がる(礼拝の形式には含まれないため、座る必要はない)。
ただし、このスジュードは単独で行われるものであり、礼拝の一部としてではなく、個別の行為として捉えることが重要である。
実施の義務性と学派間の違い
スジュード・アッ=ティラーワの実施が義務か否かについては、イスラームの四大法学派(マズハブ)により見解が異なる。
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ハナフィー学派:ワージブ(強く推奨される義務)と見なす。可能な限り行うべきとされる。
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シャーフィイー学派:スンナ・ムアッカダ(強調されたスンナ)と見なす。行うことが望ましいが、行わなくても罪ではない。
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マリキー学派:推奨されるが、義務ではないとする見解が強い。
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ハンバリー学派:スンナであり、個々人の判断に委ねられるとする。
したがって、スジュード・アッ=ティラーワを怠ったからといって罪があるわけではないが、クルアーンの精神性に則り、アッラーへの敬意を示すために、できる限り実践することが推奨される。
歴史的・神学的背景
スジュード・アッ=ティラーワは、預言者ムハンマド自身が実践していたことが多数のハディース(預言者の言行録)で確認されている。預言者は、スジュード・アーヤに到達すると実際に地面に額をつけてサジダを行った。さらに、彼の周囲の仲間(サハーバ)たちもこれを見習い、広くイスラーム世界で定着した宗教行為となった。
また、この行為にはアッラーの言葉に対する従順さと、深い精神的な謙虚さが表現されており、単なる儀式的な所作ではなく、心からの信仰の表れとして重要視される。
実生活における意義と現代的応用
現代の多くのムスリムは、クルアーンを日々の生活の中で読誦しており、スジュード・アッ=ティラーワの節に到達することも多い。その際、忙しい生活の中でも短い時間を割いて地面にひれ伏すことで、信仰を思い出し、心を整える貴重な機会となる。
また、スマートフォンやアプリを使ってクルアーンを読む現代においても、スジュード・アーヤに印が付されている場合が多く、読者は簡単にそれを識別できるようになっている。
一方で、公共の場や職場などでその場でスジュードが難しい場合、心の中でアッラーを称え、可能なタイミングでサジダを行うよう努めることも、信仰の誠実な姿勢とされる。
教育的側面と子どもへの指導
子どもたちにスジュード・アッ=ティラーワの重要性を教えることは、クルアーンへの敬意を育てる第一歩である。家庭やマドラサ(イスラーム学校)では、スジュード・アーヤの位置を暗記させるだけでなく、その背景や精神的意味を理解させる教育が重要である。
単なる暗記ではなく、「なぜアッラーの言葉に頭を下げるのか」という問いを通して、信仰とは何か、謙虚とは何かという核心に触れる機会となる。
参考文献:
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Ibn Qudamah, Al-Mughni, Dar al-Fikr, Beirut.
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Al-Nawawi, Sharh Sahih Muslim, Dar Ibn Hazm.
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Yusuf al-Qaradawi, Fiqh al-Ibadat, Maktabah Wahbah.
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『クルアーン』日本語訳(日本ムスリム協会)
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Al-Bukhari, Sahih al-Bukhari, Kitab al-Adhan.
クルアーンは単なる書物ではなく、アッラーからの生きた導きである。スジュード・アッ=ティラーワを通じて、信者はその神聖性に直接触れ、自らの存在をアッラーの前に謙遜さをもって置くことができる。このような礼拝の形式は、日常生活の中で信仰を保ち、深化させるための大切な手段である。

