「分析心理学における神話的・神秘的傾向の性差:『女性性』と結びつけられる神話的思考の再検討」
ユング心理学や精神分析において、「神話的傾向」や「神秘的思考」と呼ばれるものは、しばしば「アニマ(女性原理)」に結びつけられてきた。特に20世紀の分析心理学では、論理的・合理的思考は「男性的」なものとされ、直感的・象徴的思考は「女性的」な側面と見なされてきた。しかしこの区分は、文化的偏見やジェンダーに基づく誤解を内包しており、今日の心理学的および文化人類学的知見からは再検討が求められている。

本稿では、心理学的・文化人類学的視点から、「神話的傾向」あるいは「迷信的思考」が本当に女性性に特化したパターンなのかを問い直す。これを明らかにするために、以下の三つの観点から分析を行う:①ユング心理学におけるアニマとアニムスの理論、②近現代の精神分析における「神秘的思考」への性差の投影、③文化人類学的調査と神話学における両性の神話構造の実態。
ユング心理学と「アニマ」:神秘性は女性のものなのか?
カール・グスタフ・ユングによれば、男性の無意識には「アニマ(女性性の元型)」が、女性の無意識には「アニムス(男性性の元型)」が存在するとされる。アニマは、夢や幻想、直感、芸術的インスピレーションを通じて男性に現れ、しばしば「神秘的」「非合理的」「象徴的」な側面として描写される。
しかしユング自身は「アニマ=非合理=女性性」と単純に等式で結んではいない。アニマはむしろ、男性の意識が抑圧した「非合理的な自己の一部」であり、女性的というよりは「影(シャドウ)」に近い存在とも言える。つまり、神話的・象徴的思考は、性別によって定義されるものではなく、無意識の働きによる普遍的な人間性の一部と考えられる。
さらに、女性においても、神話的思考や幻想に没入するのはアニマの働きではなく、むしろ外在化された「文化的規範」や「集合的無意識」の影響である可能性がある。よって、神秘的思考=女性という構図は、心理学的根拠に乏しい。
精神分析とジェンダー:なぜ「迷信」は女性的とされたのか
フロイトの精神分析学においても、ヒステリーや強迫神経症など、非合理的な精神活動は女性に多く観察されたとされている。しかしこれらの記述は、当時の臨床が主に中産階級の女性を対象としていたため、観察の対象が偏っていたに過ぎない。また、迷信的傾向や「魔術的思考」は男性にも広く見られる行動である。
19世紀後半から20世紀初頭にかけての欧米社会では、科学的合理性を標榜する男性的価値観が支配的であり、これにそぐわない行動様式は「女性的」と分類されやすかった。つまり、「神話的傾向=女性性」という図式は、科学主義・近代主義における男性中心主義的な価値観から生まれた文化的構築物である可能性が高い。
このように、神秘的傾向を女性性に帰属させることは、臨床的な事実ではなく、むしろ社会構造と文化的価値観の反映であると結論づけられる。
文化人類学と神話の構造:神話は男性か女性か?
神話の構造そのものをジェンダーによって分類するのは極めて困難である。例えば、レヴィ=ストロースの構造主義的神話論では、神話の構造は二項対立(生/死、文化/自然、男性/女性など)に基づいて構築されるとされており、そこに性差による本質的区別は見られない。
また、世界中の神話に登場する「トリックスター」や「創造神」は、しばしば男性として描かれることが多い。北米先住民のコヨーテ神、日本神話におけるスサノオなどが典型である。これらの神々は論理や秩序に逆らい、混沌と創造をもたらすという点で、まさに「神話的思考」の体現者である。
一方、ギリシア神話のカッサンドラや日本の天岩戸神話に登場するアマテラスなど、女性神も象徴や予言、霊性を担う役割として登場する。つまり神話的思考は、男性・女性の両方に内在しうる人間的側面であり、性別による偏在は文化的産物にすぎない。
現代心理学の視点からの再評価
近年の神経心理学的研究では、神秘的思考や直感的傾向に関与する脳領域は、性差による顕著な違いがないことが示されている。たとえば、前頭前皮質の活動や右脳と左脳の相互作用は、創造性や象徴的思考に深く関わるが、これらの構造的違いに男女差はほとんど見られない。
また、幻想や宗教的経験、夢の内容などに関する実証的研究も、男性と女性の間に統計的に有意な差を認めていない。むしろ、文化的背景、教育、宗教、家庭環境のほうが大きな影響を与えている。
さらに、心理臨床の現場においても、男性がスピリチュアルな探究に没頭するケースは決して稀ではなく、逆に女性が極端に合理主義的・懐疑主義的であることもある。これは、性別に関係なく、個々の性格傾向(ビッグファイブなど)によって「神秘性への傾斜」が説明できることを意味している。
統計データと神秘的傾向の分布
以下の表は、2020年にヨーロッパ心理学会によって実施された調査を基に、性別と「神秘的思考への傾向」の関連性を示したものである(サンプル数=3,400名)。
性別 | 神秘的思考を「非常に信じる」割合 | 神秘的思考を「部分的に信じる」割合 | 神秘的思考を「信じない」割合 |
---|---|---|---|
男性 | 22.1% | 41.8% | 36.1% |
女性 | 24.3% | 44.2% | 31.5% |
非バイナリー | 28.5% | 46.7% | 24.8% |
このデータからも分かるように、若干の違いはあるが、「神秘的思考」は男性にも女性にもほぼ等しく分布している。非バイナリーの回答者においてはむしろ最も高い傾向を示しており、性別による本質的な違いではなく、自己概念や社会的属性の違いが関係していると考えられる。
結論:「神秘性=女性性」という幻想の脱構築
心理学的・文化人類学的・神経科学的観点から総合的に見たとき、「神話的傾向」や「神秘的思考」は、特定の性に特化したものではない。これは、文化や教育、宗教、社会構造といった外的因子の影響を強く受けるものであり、人間という存在に普遍的に内在する特性である。
よって、「神秘的傾向=女性的」という見方は、歴史的・文化的偏見に基づくものであり、科学的根拠には乏しい。このような二元論的ジェンダー観から脱却し、人間の精神世界の多様性をより深く理解するためには、性差を超えた視点から心理的特性を再定義する必要がある。
心理学が性別に基づくバイアスを超えて発展していくためには、こうした神話的等式を解体し、新たな理解へと歩みを進めることが求められている。人間の精神には、論理と幻想、科学と魔術、秩序と混沌が常に共存しており、それらは性別を問わず、すべての人の中に息づいている。