精巣上体炎(せいそうじょうたいえん)-炎症性疾患としての全体像と最新の治療的理解
精巣上体炎(英語では「Epididymitis」)は、男性の生殖器系における重要な疾患であり、主に精巣の後方に位置する精巣上体に炎症が生じる状態を指す。この疾患は急性または慢性の形態をとり、若年男性から高齢者に至るまで幅広い年齢層で見られる。精巣上体は、精子の成熟と輸送を担う重要な器官であり、炎症が起きると精子機能や男性不妊、そして疼痛や腫脹などの生活の質に関わる症状を引き起こす。

本稿では、精巣上体炎の原因、症状、診断、治療法、予後、合併症のリスク、そして再発予防までを、科学的知見と臨床的根拠に基づいて包括的に解説する。
1. 精巣上体の解剖と生理
精巣上体は、精巣の上部から後部にかけて位置する細長い管状の構造であり、精子が精巣で産生された後、ここで成熟し、精管へと輸送される。精巣上体は頭部(caput)、体部(corpus)、尾部(cauda)の三つの領域に分けられ、特に尾部は精子の貯蔵庫として重要である。精巣上体の粘膜は円柱上皮に覆われており、分泌と吸収機能を持つ。
2. 精巣上体炎の病因
精巣上体炎は以下のような多様な要因によって引き起こされる。
2.1 細菌感染
最も一般的な原因は細菌感染である。特に以下のような病原体が関与する:
年齢層 | 主な病原体 |
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35歳未満 | クラミジア(Chlamydia trachomatis)、淋菌(Neisseria gonorrhoeae) |
35歳以上 | 大腸菌(Escherichia coli)、クレブシエラ属、プロテウス属など |
性感染症(STI)としての側面を持つことが多く、特に若年層では性行為歴が重要なリスク因子となる。
2.2 非感染性要因
尿の逆流(尿道から精巣上体への逆行感染)、外傷、カテーテル留置、膀胱前立腺手術後など、非感染性炎症も稀に原因となる。
2.3 慢性精巣上体炎
数週間以上持続する場合は慢性精巣上体炎と呼ばれ、結核やサルコイドーシスなどの肉芽腫性疾患、自己免疫疾患、さらには原因不明の無菌性炎症が関与することもある。
3. 臨床症状
急性精巣上体炎の特徴
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陰嚢の片側性腫脹と疼痛(突然発症が多い)
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発熱(38℃以上)
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排尿時痛(排尿困難)
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精液に血が混じる(血精液症)
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尿意切迫、頻尿
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精巣上体が圧痛と腫脹を伴う
慢性精巣上体炎の特徴
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長期間持続する軽度の不快感や鈍痛
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精巣上体のしこり、圧痛は軽度
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明確な感染症状を伴わない場合も多い
4. 診断
診断は、以下のような臨床所見と検査結果に基づいて行われる。
4.1 身体診察
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精巣上体の触診で腫脹・圧痛
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プレーンサイン(陰嚢を持ち上げると痛みが軽減する)
4.2 尿検査
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尿中白血球、細菌の検出
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PCR法によるクラミジア・淋菌の検出(核酸増幅検査)
4.3 血液検査
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白血球増加、CRP高値
4.4 超音波検査(陰嚢エコー)
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精巣上体の肥厚と血流増加を確認
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精巣炎との鑑別(精巣捻転との区別が重要)
4.5 MRIやCT(特殊なケースで)
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慢性炎症や腫瘍の鑑別、結核性炎症の評価に使用される
5. 鑑別診断
疾患名 | 主な違い |
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精巣捻転 | 突然の激痛、血流低下、手術が緊急対応 |
精巣炎 | 精巣本体の腫脹・疼痛、ウイルス性が多い |
精巣腫瘍 | 無痛性のしこり、徐々に増大 |
鼠径ヘルニア | 腫瘤の可逆性、立位や腹圧で増悪 |
6. 治療法
6.1 急性期の抗菌薬治療
感染性精巣上体炎における第一選択は抗菌薬による治療である。病原体に応じて使用する薬剤は異なる。
病原体 | 抗菌薬例 | 投与期間 |
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クラミジア・淋菌 | ドキシサイクリン+セフトリアキソン | 10〜14日間 |
グラム陰性菌(大腸菌など) | レボフロキサシン、シプロフロキサシンなど | 10〜21日間 |
6.2 補助療法
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陰嚢の冷却、挙上(サポーターなどの使用)
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鎮痛薬(NSAIDs)
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安静
6.3 慢性例の対応
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長期間の低用量抗菌薬投与
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結核が原因の場合は抗結核薬による治療
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難治性の場合は精巣上体切除術(epididymectomy)
7. 合併症と予後
早期の適切な治療により予後は良好であるが、以下のような合併症に注意が必要である:
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精巣上体膿瘍:膿がたまり、切開排膿が必要となる
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精巣萎縮:血流障害による組織変性
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男性不妊:両側性の炎症で精子輸送障害が起こる
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慢性精巣上体炎:再発や持続する疼痛が問題となる
8. 再発と予防
再発予防のためには以下が重要である:
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性感染症の予防(コンドームの使用)
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性交渉相手の同時治療
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排尿後の残尿管理(特に高齢者)
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尿路結石や前立腺肥大などの排尿障害の治療
9. 近年の研究と展望
近年では、抗菌薬耐性菌の増加により、より正確な病原体同定と感受性試験の重要性が高まっている。また、慢性精巣上体炎に対する免疫学的メカニズムの解明も進んでおり、将来的には免疫調整療法の応用が期待される。生殖補助医療(ART)と関連する不妊治療への応用も、重要な研究対象となっている。
参考文献
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日本泌尿器科学会編『泌尿器科学 第4版』医学書院, 2021年
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Centers for Disease Control and Prevention. Sexually Transmitted Infections Treatment Guidelines, 2021.
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Rowe PJ, Comhaire FH, Hargreave TB, Mahmoud A. WHO Manual for the Standardized Investigation and Diagnosis of the Infertile Male. Cambridge University Press, 2000年
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Ludwig M. Diagnosis and therapy of acute and chronic epididymitis. Der Urologe, 2006年
日本の医療現場では、高齢化とともに非性感染性の精巣上体炎が増加する傾向にあり、泌尿器科医における的確な診断と個別化された治療戦略の構築が求められている。精巣上体炎は一見軽微な疾患に見えるかもしれないが、早期対応を怠ると将来的な不妊症や慢性疼痛につながる可能性があるため、正しい理解と予防が重要である。