糖尿病性網膜症(DR)および高血圧性網膜症を含む、網膜血管障害に関する包括的研究
網膜は、視覚機能の中心を担う光感受性の組織であり、その機能は脳と同様に高い代謝需要を持つことから、血管系による酸素供給と代謝産物の排出が不可欠である。したがって、血管の構造的・機能的障害は、視覚に重大な影響を及ぼしうる。本稿では、特に糖尿病性網膜症(Diabetic Retinopathy, DR)および高血圧性網膜症(Hypertensive Retinopathy, HR)に焦点を当て、網膜血管障害(Retinal Vasculopathy)の病態生理、診断技術、治療戦略、ならびに最新の研究動向を詳細に検討する。

網膜の血管構造と血液網の特性
ヒトの網膜血管網は、内頸動脈から分岐する中心網膜動脈(Central Retinal Artery)により供給される。この動脈は、網膜内において二重の毛細血管網(表層および深層)を形成し、外側の光受容体層は主に脈絡膜(Choroid)から酸素を得る。網膜血管は、他の全身血管と異なり、血液脳関門に類似した血液網膜関門(Blood-Retinal Barrier)を有しており、恒常性の維持が極めて重要である。この関門の破綻は、浮腫や血管新生といった病的変化を引き起こす主因となる。
糖尿病性網膜症の病態と進行段階
糖尿病性網膜症は、長期間の高血糖状態による微小血管の構造的破綻と機能障害により発症する。初期には無症候性であるが、進行すると視力喪失に至ることがある。以下に主要な進行段階を示す。
ステージ | 主な特徴 | 臨床所見 |
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単純糖尿病性網膜症 | 微小血管瘤、点状出血 | フルオレセイン蛍光眼底造影で毛細血管瘤が可視化 |
前増殖網膜症 | 血管閉塞、軟性白斑 | 虚血領域の出現、静脈の蛇行 |
増殖糖尿病性網膜症 | 網膜新生血管、硝子体出血 | 新生血管、線維性増殖膜形成 |
黄斑浮腫 | 中心窩の浮腫 | OCTにより網膜厚の増加を確認 |
糖尿病性網膜症の発症には、AGEs(Advanced Glycation End Products)、酸化ストレス、炎症性サイトカイン(VEGF、TNF-αなど)の過剰産生が深く関与しており、血管透過性の増大と細胞死(アポトーシス)を誘導する。
高血圧性網膜症の病態と分類
高血圧性網膜症は、慢性的な高血圧に伴う網膜動脈の狭窄、硬化、血管壁の透過性亢進などによって引き起こされる。Keith-Wagener-Barker分類(1939年)は、臨床上最も広く使用されており、以下の4段階に分類される。
グレード | 特徴 | 臨床的意義 |
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I度 | 軽度の動脈狭窄 | 無症状、診断に注意 |
II度 | 動静脈交叉現象 | 血管壁の硬化進行 |
III度 | 出血、硬性白斑 | 視力障害のリスク |
IV度 | 乳頭浮腫、重篤な出血 | 悪性高血圧、緊急対応必要 |
血管内皮障害と高血圧による機械的ストレスが血管のリモデリングを引き起こし、結果として網膜灌流不全および虚血が生じる。また、視神経乳頭の浮腫は頭蓋内圧の上昇とも関連しており、全身状態のモニタリングが求められる。
診断技術の進歩
近年の画像診断技術の進歩により、網膜血管障害の検出感度は飛躍的に向上した。
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OCT(Optical Coherence Tomography):非侵襲的に網膜断層像を取得し、浮腫や血管透過性の異常を可視化。
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OCTA(OCT Angiography):造影剤を用いずに血流を検出し、虚血領域の早期発見に有用。
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FA(Fluorescein Angiography):蛍光色素を用いた造影で、血管漏出や閉塞の視覚化が可能。
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AIによる自動診断:ディープラーニングを応用した眼底画像の自動解析により、スクリーニングの効率化が進行中。
治療戦略:薬理学的および外科的アプローチ
糖尿病性網膜症および高血圧性網膜症に対する治療は、疾患の重症度と原因に応じて異なる。以下に主な治療法を示す。
薬物治療
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抗VEGF薬(Bevacizumab, Aflibercept, Ranibizumab)
網膜新生血管の抑制、浮腫の軽減に有効であり、黄斑浮腫に対する第一選択薬とされている。 -
ステロイド注射(トリアムシノロン等)
炎症性サイトカインの抑制により血管透過性を改善。ただし、眼圧上昇の副作用に注意。 -
血糖・血圧の厳格管理
網膜血管障害の進行抑制には全身管理が不可欠。HbA1cの低下やRAAS阻害薬の使用が推奨される。
外科的治療
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レーザー光凝固術:虚血領域や新生血管の焼灼により病変の進行を抑制。
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硝子体手術(Pars Plana Vitrectomy):硝子体出血や牽引性網膜剥離に対して施行される。
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網膜インプラントと人工視覚:重度視力喪失者向けの先進的治療法として研究が進行中。
最近の研究と将来の展望
ゲノム編集技術(CRISPR-Cas9)の応用により、網膜血管障害における遺伝的要因の特定と治療標的の開発が進んでいる。特に、VEGF経路以外の新たな血管新生因子(Angiopoietin-Tie2系)や炎症シグナルの制御が注目されている。
また、網膜内皮細胞の再生医療やiPS細胞由来網膜移植など、疾患の根本的な治療を目指すアプローチも実用化段階にある。さらに、網膜画像と全身疾患(脳卒中、心筋梗塞、慢性腎疾患など)との相関を解析する研究が進み、網膜は「全身の鏡」としての役割も果たしている。
結論
網膜血管障害は、視覚障害の主要な原因であると同時に、全身性疾患の一側面として極めて重要な病態である。その予防、診断、治療には、眼科的知識のみならず、内科的・循環器的視点も求められる。今後の研究においては、より早期の診断と病態修復に向けた革新的アプローチの開発が期待される。網膜は視覚器官としてのみならず、全身の健康状態を映し出す「窓」としての価値を持ち、今後の医療における要となるだろう。
参考文献
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