胃の上部における痛み(心窩部痛)に関する包括的な科学的検討
胃の上部、いわゆる心窩部(しんかぶ)における痛みは、日常的に多くの人が経験する消化器症状の一つである。この部位の痛みは「心窩部痛(しんかぶつう)」とも呼ばれ、一般的には「みぞおちの痛み」「胃のあたりが痛い」などと表現される。しかし、その原因や背景は多岐にわたり、単なる胃の不調から、生命に関わる重篤な病態まで幅広い。よって、心窩部痛を安易に軽視することは危険である。本稿では、心窩部痛の主な原因、診断法、治療法、予防策について、最新の研究とガイドラインに基づき、詳細に論じる。
心窩部痛とは何か:その定義と特徴
心窩部とは、胸骨の下、肋骨の弓の間、すなわち腹部の上部中央に位置する部位である。この部位の痛みは、持続的であったり断続的であったり、また鈍痛、焼けるような痛み、刺すような痛みなど、多様な性状を呈する。痛みの強さも軽度から激痛まで幅がある。
心窩部痛の感じ方には個人差があり、同じ病態でも訴えの内容が異なることがあるため、問診と診察、必要に応じた検査が極めて重要となる。
心窩部痛の主な原因
心窩部痛の原因は、大きく以下のようなカテゴリーに分類される。
1. 消化器系の疾患
| 疾患名 | 説明 | 主な症状 |
|---|---|---|
| 胃炎 | 胃の粘膜の炎症であり、ストレス、ピロリ菌、NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)などが原因となる | 心窩部痛、胃もたれ、悪心 |
| 胃潰瘍/十二指腸潰瘍 | 胃酸による粘膜のびらん。出血や穿孔のリスクあり | 空腹時や夜間の心窩部痛、出血による吐血や黒色便 |
| 逆流性食道炎(GERD) | 胃酸の食道への逆流により食道粘膜が炎症を起こす | 胸やけ、呑酸、心窩部の焼けるような痛み |
| 機能性ディスペプシア | 器質的異常がないにも関わらず慢性的な上腹部不快感がある | 食後の膨満感、早期飽満感、心窩部痛 |
| 胆石症/胆嚢炎 | 胆嚢内の結石や炎症により右上腹部から心窩部への痛みが生じる | 食後の痛み、発熱、黄疸 |
| 膵炎(急性・慢性) | 膵臓の炎症。アルコール、胆石などが原因となる | 強い心窩部痛、背部への放散痛、悪心、嘔吐 |
2. 心臓・血管系の疾患
| 疾患名 | 説明 | 主な症状 |
|---|---|---|
| 虚血性心疾患(狭心症・心筋梗塞) | 心筋の酸素不足による疾患。特に心筋梗塞は命に関わる | 胸痛、心窩部痛、息切れ、冷汗、吐き気 |
| 大動脈解離 | 大動脈壁が裂けることで激痛を伴う緊急疾患 | 突然の激しい痛み、移動する痛み、失神 |
3. 呼吸器・筋骨格系・精神的要因
| 疾患名 | 説明 | 主な症状 |
|---|---|---|
| 胸膜炎 | 肺と胸膜の炎症であり、深呼吸や咳で増悪する | 呼吸時痛、発熱 |
| 肋間神経痛 | 肋間神経の炎症や圧迫による神経性疼痛 | 特定の姿勢や動作で悪化する鋭い痛み |
| 心因性の胃痛(心身症) | ストレスや不安が原因で生じる胃部不快感 | 心窩部痛、不安感、不眠 |
心窩部痛の診断法
心窩部痛の診断には、以下のような多角的なアプローチが求められる。
1. 詳細な問診
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痛みの性状(鋭い・鈍い・灼熱感)
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持続時間(瞬間的・持続的)
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増悪因子(食後・空腹時・運動時など)
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緩和因子(制酸薬・安静)
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付随症状(吐き気・発熱・血便など)
2. 身体診察
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腹部の圧痛点、筋性防御の有無
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バイタルサイン(血圧、脈拍、体温など)
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心音・呼吸音の異常の確認
3. 検査
| 検査名 | 目的 |
|---|---|
| 血液検査 | 炎症(CRP)、肝胆道系(AST/ALT、ALP、γ-GTP)、膵酵素(アミラーゼ、リパーゼ) |
| 尿検査 | 胆汁色素、感染兆候 |
| 上部消化管内視鏡(胃カメラ) | 潰瘍、炎症、腫瘍の有無を直接観察 |
| 腹部超音波 | 胆石、膵炎、肝臓・胆嚢疾患の評価 |
| 心電図(ECG) | 心筋虚血の評価 |
| CT検査 | 大動脈解離、膵炎、腫瘍などの精査 |
心窩部痛の治療法
治療は、原因疾患により大きく異なるが、以下に代表的なものを示す。
胃・十二指腸潰瘍
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プロトンポンプ阻害薬(PPI):胃酸の分泌を抑える
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ピロリ菌の除菌療法
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NSAIDsの中止または変更
胆石症・胆嚢炎
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食事療法(脂肪制限)
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抗生物質(感染時)
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手術(胆嚢摘出術)
逆流性食道炎
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食後すぐに横にならない
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胃酸を抑える薬(H2ブロッカー、PPI)
虚血性心疾患
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酸素投与、硝酸薬
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抗血小板薬
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冠動脈バイパス術やステント治療
心窩部痛の予防と生活習慣の改善
心窩部痛を未然に防ぐには、日常生活における以下の点が重要である。
| 改善項目 | 推奨内容 |
|---|---|
| 食事 | 暴飲暴食を避け、規則正しく少量頻回の食事を心がける |
| アルコール | 節度ある飲酒を心がけ、特に膵炎リスクのある人は断酒が望ましい |
| 喫煙 | 胃粘膜への血流低下を防ぐため禁煙が勧められる |
| ストレス管理 | ヨガ、瞑想、趣味などを通じたリラクゼーション法の導入 |
| 薬の使用 | NSAIDsやアスピリンなどの使用には注意が必要。胃薬との併用を考慮 |
特に注意すべき警告症状(Red Flags)
以下の症状がある場合は、迅速な医療機関の受診が推奨される。
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急激で強烈な痛み
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冷汗や呼吸困難を伴う痛み
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吐血または黒色便
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体重減少、食欲不振が持続
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高齢者における新規発症の腹痛
おわりに
心窩部痛は、日常的な消化不良から、命に関わる心疾患、消化管穿孔、大動脈解離に至るまで、非常に広範な原因が存在する。正確な診断には、医師による丁寧な問診と適切な検査が不可欠である。自己判断で市販薬に頼るのではなく、症状が持続または悪化する場合は、速やかに医療機関を受診することが求められる。また、日々の生活習慣を見直し、胃腸にやさしい生活を送ることで、心窩部痛の予防にもつながる。
参考文献
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日本消化器病学会ガイドライン委員会. 「消化性潰瘍診療ガイドライン」.
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日本内科学会. 「内科学 第11版」.
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Mayo Clinic. “Epigastric pain: Causes and Treatments”.
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UpToDate. “Evaluation of the adult with epigastric pain”.
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厚生労働省 e-ヘルスネット:「胃食道逆流症」.
