医学と健康

葉酸と胎児異常予防

胎児の先天性異常を予防する葉酸の役割:科学的根拠と実践的意義

妊娠期における栄養の重要性は、近年ますます注目を集めており、その中でも「葉酸(ようさん)」の果たす役割は特に重要である。葉酸はビタミンB群に属する水溶性ビタミンであり、細胞分裂やDNA合成、アミノ酸の代謝などに不可欠な栄養素である。妊娠初期に十分な葉酸を摂取することで、胎児の神経管閉鎖障害(NTD: Neural Tube Defects)などの先天性異常のリスクを大幅に減少させることが、世界中の研究によって一貫して示されている。本稿では、葉酸の生理学的機能、胎児への保護作用、世界および日本における栄養指針、さらに摂取方法と実践的なアプローチについて科学的根拠に基づいて包括的に解説する。


葉酸とは何か:その生理学的機能と分布

葉酸(英語でfolic acid)は、自然界では「フォレート(folate)」という形で広く存在し、緑色葉野菜(ほうれん草、ケール、ブロッコリーなど)、果物(特に柑橘類)、豆類、全粒穀物、レバーなどに豊富に含まれる。葉酸は細胞のDNAやRNA合成、メチオニンの再合成に不可欠であり、特に新しい細胞が急速に生成される妊娠初期において需要が高まる。

以下に主な食品に含まれる葉酸量(100gあたり)の例を示す。

食品名 葉酸含有量(μg/100g)
ほうれん草 210
ブロッコリー 120
枝豆 260
レバー(鶏) 1300
アボカド 84
オレンジ 30

葉酸は体内で蓄積されにくいため、毎日の食事からの摂取が重要であるが、食物に含まれる自然葉酸は熱や調理によって分解されやすく、生体利用率も合成された葉酸(サプリメントや強化食品)よりも低いことが知られている。


神経管閉鎖障害(NTD)と葉酸の関連性

神経管閉鎖障害とは、胎児の中枢神経系を形成する神経管が妊娠初期(受精後28日以内)に正しく閉じないことにより発生する先天性異常である。代表的な疾患には「二分脊椎(spina bifida)」や「無脳症(anencephaly)」が含まれる。これらは出生前に致死的であったり、重篤な運動障害、知的障害を伴うケースが多い。

1980年代から1990年代にかけて、欧米諸国を中心に大規模な疫学研究と臨床研究が行われ、妊娠前および妊娠初期に葉酸を摂取することで、NTDの発生率が50〜70%減少することが明らかになった。

とりわけ1991年に発表された英国のMedical Research Councilによる無作為化比較試験(Randomized Controlled Trial)は、葉酸の補充がNTD予防に有効であることを明確に示した重要な研究であり、以後世界保健機関(WHO)、米国疾病予防管理センター(CDC)、日本産科婦人科学会を含む多くの医療機関が葉酸摂取の重要性を推奨している。


葉酸摂取に関する国際的および日本の推奨基準

以下に主な国際機関および日本の推奨葉酸摂取量を示す。

機関 対象者 推奨量(μg/日)
WHO 妊娠可能な全女性 400
米国CDC 妊娠を予定している女性 400
日本厚生労働省 妊娠前〜妊娠初期の女性 400(サプリ) + 食事分
日本産婦人科学会 妊娠を考える女性 食事+サプリ合計で400〜480

日本においては、2000年代に入り葉酸のサプリメント摂取が推奨されるようになったが、他国に比べると認知度や実践率は依然として低い傾向にある。厚生労働省の調査によると、妊娠前に葉酸をサプリメントで補っていた女性は全体の30%未満という報告もある(2020年度統計)。


葉酸のサプリメントと過剰摂取のリスク

葉酸は水溶性ビタミンであり、通常の摂取範囲では過剰症のリスクは低いが、高用量(1000μg以上/日)を長期的に摂取した場合、一部で神経障害の症状を隠す可能性が指摘されている。また、がんリスクとの関連性についても議論されているが、現時点で通常の妊娠支援の範囲内での摂取に関して明確なリスクは確認されていない。

WHOおよび日本の厚生労働省も、葉酸の補助的摂取は妊娠可能な女性にとって安全かつ有益であるという立場を取っており、適切なサプリメント利用が推奨されている。


妊娠を希望する女性への実践的アドバイス

妊娠を計画している女性、あるいは妊娠の可能性がある女性は、以下のような実践的アプローチを取ることで、先天性異常のリスクを大幅に軽減できる。

  1. 妊娠の1か月以上前から葉酸を摂取すること

    妊娠に気づく頃にはすでに神経管の形成が始まっているため、妊娠前からの摂取が不可欠である。

  2. サプリメントの活用

    食事だけでは推奨量を満たすのが困難であるため、厚生労働省も400μgのサプリメント利用を推奨している。

  3. 食品表示を確認する

    日本でも一部の食品(パン、シリアルなど)に葉酸が強化されている製品がある。これらの表示を積極的に確認することで、日常的な摂取量を増やすことができる。

  4. 医療従事者との連携

    妊娠計画段階で産婦人科医や栄養士と相談し、適切な摂取計画を立てることが望ましい。


今後の課題と展望

葉酸の摂取とNTD予防の関係は広く認知されつつあるが、日本では依然として情報の普及や政策の実効性に課題が残っている。カナダやアメリカなどでは、小麦粉などの主食に葉酸を強化する「食品強化政策」が導入され、NTD発症率が顕著に減少した事例がある。

日本においても、同様の食品強化政策の導入、学校教育や産婦人科での積極的な情報提供、サプリメントの費用補助など、より包括的な支援体制が求められる。特に低所得世帯や若年層へのアプローチが鍵となる。


結論

葉酸の適切な摂取は、胎児の生命と健康を守るための極めて重要な予防策である。科学的エビデンスに裏付けられたその効果は、神経管閉鎖障害をはじめとする先天性異常の発生率を劇的に減少させることができる。妊娠可能年齢の女性が自らの身体と未来の子どもに対して責任ある選択をするためには、葉酸に関する正確な知識と、実践的な支援が不可欠である。日本においても、個人、医療機関、政府が一体となった予防戦略が今こそ必要である。


参考文献

  1. Medical Research Council Vitamin Study Research Group. Prevention of neural tube defects: results of the Medical Research Council Vitamin Study. Lancet. 1991.

  2. World Health Organization. Guideline: Daily iron and folic acid supplementation in pregnant women. WHO, 2012.

  3. 厚生労働省. 「日本人の食事摂取基準(2020年版)」.

  4. Centers for Disease Control and Prevention. Recommendations for the use of folic acid to reduce the number of cases of spina bifida and other neural tube defects. MMWR. 1992.

  5. 日本産婦人科学会. 葉酸摂取の推奨に関する声明, 2017.

Back to top button