過敏性腸症候群(IBS:Irritable Bowel Syndrome)は、消化器疾患の中でも非常に一般的な機能性障害の一つであり、腸に構造的な異常が見られないにもかかわらず、腹部の不快感や便通の異常などの症状が慢性的に続く疾患である。以下では、過敏性腸症候群の診断方法、主な症状、分類、原因と誘因、診断基準、他疾患との鑑別、治療法、生活習慣の改善、合併症の有無、予後などについて詳細かつ科学的に解説する。
過敏性腸症候群の主な症状
過敏性腸症候群は以下のような複数の症状が慢性的に現れることで特徴付けられる。
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腹痛や腹部不快感:特に排便後に軽減する傾向がある。
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下痢や便秘、あるいはその交替:下痢型、便秘型、混合型に分類される。
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排便回数や便の形状の変化:急に便意を催したり、便が硬くなったり、水様便になる。
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膨満感、ガスの増加:腸内のガスが過剰に発生することによる。
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粘液の混ざった便:透明な粘液が便と共に排出されることがある。
これらの症状は生活の質(QOL)を著しく低下させることがあり、精神的ストレスや社会生活に影響を及ぼすことも少なくない。
過敏性腸症候群の分類
国際的な診断基準である「ローマ基準(Rome IV)」では、IBSは以下のように分類されている。
| 分類 | 特徴 |
|---|---|
| 下痢型(IBS-D) | 主に緩い便や水様便が中心。 |
| 便秘型(IBS-C) | 主に硬便、排便困難。 |
| 混合型(IBS-M) | 下痢と便秘が交互に現れる。 |
| 分類不能型(IBS-U) | 上記のいずれにも該当しないがIBSと診断される。 |
診断のための基準:ローマIV基準
過敏性腸症候群の診断は主に臨床症状に基づき、次の「ローマIV基準」により行われる。
ローマIV基準(2016年):
過去3か月以内に、少なくとも週に1回の腹痛が以下の2つ以上に関連していること:
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排便によって軽減する。
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排便頻度の変化を伴う。
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便の形状(外観)の変化を伴う。
また、これらの症状は発症から少なくとも6か月前に始まっている必要がある。
他疾患との鑑別診断
過敏性腸症候群は腸に器質的異常が見られないため、他の疾患(特に重篤なもの)との区別が重要である。鑑別すべき代表的な疾患には以下がある。
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炎症性腸疾患(IBD:潰瘍性大腸炎、クローン病)
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大腸がん
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乳糖不耐症やセリアック病
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感染性腸炎(腸管感染)
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婦人科疾患(子宮内膜症など)
血液検査、便潜血反応検査、大腸内視鏡などの検査を通じて器質的疾患を除外する。
原因と誘因
過敏性腸症候群の正確な原因は不明であるが、以下のような要因が発症や悪化に関与しているとされている。
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腸管運動異常:腸の動きが過剰あるいは不十分。
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腸内細菌の異常(腸内フローラの変化)
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ストレスや心理的因子:うつ、不安、過去のトラウマなど。
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食生活:特定の食物(乳製品、脂肪分、カフェイン、アルコールなど)。
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小腸の過敏性:知覚過敏があり、少量のガスや腸内容物でも痛みを感じやすい。
診断に用いられる検査
IBSの診断は主に除外診断であるため、以下の検査を行うことが多い。
| 検査名 | 目的 |
|---|---|
| 血液検査 | 炎症、貧血、感染などを確認。 |
| 便検査 | 潜血、白血球、寄生虫の有無。 |
| 大腸内視鏡検査 | 炎症性腸疾患や腫瘍の除外。 |
| 超音波検査 | 他臓器疾患の除外(特に婦人科疾患)。 |
| 呼気テスト | 小腸細菌増殖症(SIBO)の評価。 |
治療方法
過敏性腸症候群の治療は、症状の緩和と生活の質の改善を目的として、多面的にアプローチされる。
薬物療法
| 薬の種類 | 効果 |
|---|---|
| 抗コリン薬 | 腹痛の緩和、腸管運動の調整。 |
| 下痢止め(ロペラミド等) | 下痢型IBSの改善。 |
| 緩下剤(マグネシウム系等) | 便秘型IBSの改善。 |
| プロバイオティクス | 腸内環境の改善。 |
| 抗うつ薬(三環系抗うつ薬、SSRI) | 腸の知覚過敏、精神的要因の緩和。 |
食事療法:低FODMAP食
「FODMAP」とは発酵性の短鎖炭水化物で、IBSの患者にガスや腹部膨満を引き起こしやすい。低FODMAP食では以下の食品を避ける。
| 避けるべき食品 | 例 |
|---|---|
| 高FODMAP食 | 玉ねぎ、にんにく、小麦、大豆、リンゴ、牛乳、豆類など。 |
| 推奨される食品 | 米、じゃがいも、バナナ、にんじん、ズッキーニ、オートミールなど。 |
心理療法
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認知行動療法(CBT)
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自律訓練法や瞑想
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ストレスマネジメントプログラム
精神的な安定が腸機能に大きな影響を及ぼすことが知られているため、心理的ケアも重要な柱である。
生活習慣の改善
過敏性腸症候群の症状管理には日常生活の見直しが非常に効果的である。
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規則正しい食生活と睡眠の確保。
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適度な運動(ウォーキングやヨガなど)。
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水分の十分な摂取。
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過度なカフェインやアルコールの制限。
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喫煙の中止。
合併症と予後
過敏性腸症候群自体が生命を脅かす病気ではないが、症状が慢性的に続くことでうつ病や不安障害のリスクが高まる。また、社会的な孤立や労働能力の低下を招くこともある。
ただし、適切な治療と生活管理により、症状の大部分は軽減可能であり、重篤な合併症を伴うことは非常に稀である。
まとめ
過敏性腸症候群は多様な要因が絡み合う複雑な疾患であるが、その診断は臨床症状と除外診断によって可能であり、治療は個別化された多角的アプローチによって成功する可能性が高い。自己判断で放置するのではなく、消化器専門医による診断と治療が望ましい。
過敏性腸症候群の理解と早期対応によって、日常生活の質を大きく改善することができる。特に日本人に多いとされるストレス性の胃腸障害として、早期の認知と介入が今後ますます重要になるであろう。
参考文献:
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日本消化器病学会「過敏性腸症候群診療ガイドライン」
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Longstreth GF, et al. Functional Bowel Disorders. Gastroenterology, 2016.
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鈴木康夫ら「過敏性腸症候群におけるFODMAP食の有用性」日本臨床栄養学会雑誌, 2021年.
