妊娠中の女性にとって、体のあらゆる変化は大きな意味を持ちます。特に「胃の痛み(腹部不快感や胃痛)」は、多くの妊婦が経験する不快な症状の一つです。この症状は一時的な生理的反応から、注意を要する病的な兆候までさまざまです。以下では、妊娠中における胃痛の主な原因、それぞれの特徴的な症状、適切な対処法と予防策について、最新の医科学的知見に基づいて詳述します。
妊娠中の胃痛:一般的な原因
妊娠によるホルモンバランスや身体構造の変化は、消化器系に多大な影響を与えることがあります。妊娠中の胃痛は、以下のような原因が考えられます。

1. ホルモンの変化
妊娠初期に急激に分泌されるプロゲステロンは、子宮の収縮を抑える働きがありますが、一方で胃や腸などの消化器の運動を遅らせてしまいます。その結果、食べ物が胃に長く滞在し、胃もたれやガス、痛みを引き起こしやすくなります。
2. 子宮の拡大による圧迫
妊娠が進行するにつれて、子宮は急激に大きくなり、周囲の臓器を圧迫します。特に胃や腸はその影響を受けやすく、消化不良や胃痛、逆流性食道炎などの症状が現れやすくなります。
3. 胃酸の逆流(胃食道逆流症)
妊婦の約半数以上が経験するとされる「胸焼け」は、胃酸が食道に逆流することによって生じます。横になったときや食後に悪化しやすく、胃の上部やみぞおちに痛みを感じることがあります。
4. 便秘
妊娠中は腸の働きが鈍くなる傾向があり、便秘を引き起こしやすくなります。これが結果的に腹部膨満感や痛み、さらには痔を伴うこともあります。
5. 消化不良やガスの溜まり
食べ過ぎや早食い、脂肪分の多い食事により、胃にガスが溜まりやすくなります。このガスが胃壁や腸管を圧迫すると、差し込むような痛みや張り感を引き起こします。
6. ストレスや不安
精神的なストレスは自律神経に影響を及ぼし、胃酸の分泌を過剰にしたり、胃の運動を不安定にすることがあります。特に妊娠中はホルモンの影響で情緒が不安定になりやすく、これが胃の不調につながることもあります。
病的な原因に注意すべき場合
胃痛の中には、ただの消化不良では片付けられない、緊急を要する病態も存在します。
病名 | 症状の特徴 | 対応 |
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子癇前症(妊娠高血圧症候群) | 右上腹部痛、頭痛、視覚障害、むくみ、高血圧 | 医療機関での即時対応が必要 |
急性胃炎 | 胃のむかつき、嘔吐、下痢、発熱を伴う場合も | 医師の診察が必要、薬物療法 |
胆石症 | 脂肪摂取後の右上腹部の鋭い痛み | 超音波検査で診断、治療法の選択が必要 |
虫垂炎 | 右下腹部痛、発熱、吐き気 | 外科的処置が必要な場合あり |
胃痛の対処法と緩和策
軽度の胃痛や不快感であれば、生活習慣の見直しやセルフケアで十分に対処可能です。
1. 食事の改善
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小分けにして食べる(1日5〜6回の少量頻回食)
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脂っこい食事や香辛料の多い食事を控える
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寝る2時間前には食事を終える
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よく噛んでゆっくり食べる
2. 体位の工夫
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食後すぐに横にならず、座った姿勢を保つ
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就寝時は上体を少し高くする(枕を高くするなど)
3. 水分補給
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カフェインを避け、常温の水や白湯を少量ずつこまめに摂る
4. 軽い運動
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食後の散歩やマタニティヨガは、消化促進やガス排出に役立つ
5. ストレスの軽減
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十分な休息と睡眠をとる
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好きな音楽を聴いたり、リラックスできる時間を持つ
医師の診察が必要な場合
以下のような症状がある場合には、すぐに産婦人科または内科医に相談することが重要です。
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持続的または激しい胃痛
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吐血や黒色便
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高熱や悪寒を伴う場合
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胸焼けが何日も続く
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食事がまったく取れないほどの吐き気
妊娠中でも使用できる治療法
薬剤の使用については、妊娠の時期や症状の重さによって異なります。医師の判断のもと、安全性の高い薬剤を選択することが基本となります。
薬剤分類 | 例 | 注意点 |
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制酸薬(H2ブロッカーなど) | ファモチジン | 第2・第3トリメスターでの使用が比較的安全とされる |
胃粘膜保護薬 | アルジオキサ、スクラルファート | 局所作用型で全身への影響が少ない |
整腸薬・消化酵素 | ビオフェルミン、リパーゼ製剤 | 妊娠中も安全に使えるものが多い |
胃痛予防のための日常生活のポイント
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朝食を必ず取ることで胃酸過多を防ぐ
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なるべく決まった時間に食事をする
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タイトな服装や腹部を締め付けるベルトを避ける
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喫煙やアルコールは厳禁
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水分は一気飲みせず、こまめに分けて摂取する
終わりに
妊娠中の胃痛は、多くの場合一時的で、生活習慣の見直しによって改善可能です。しかし、自己判断で放置してしまうと、母体および胎児の健康に影響を及ぼす可能性もあります。小さな違和感でも、必要であれば医師に相談し、安心して妊娠期間を過ごすことが最も大切です。
妊婦さん一人ひとりが自分の体に耳を傾け、適切な知識とケアを身につけることで、健やかな出産へとつなげることができるのです。
参考文献:
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厚生労働省 母子健康手帳 解説(2022年改訂版)
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日本産婦人科学会「妊娠中の薬の使い方ガイドライン」2021
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日本消化器病学会「妊娠期における胃腸障害に関する報告書」
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The Journal of Maternal-Fetal & Neonatal Medicine, 2020, Volume 33
-
Mayo Clinic: Pregnancy and digestive health (2021)