栄養と科学の視点から見た「完全なる野菜」:ビーツ(甜菜)の全貌
ビーツ(学名:Beta vulgaris)、日本では「甜菜(てんさい)」や「赤かぶ」などと呼ばれるこの野菜は、近年その栄養的価値と機能性成分の研究が進み、健康志向の高い食生活の中で非常に注目されている。単なるサラダの彩りとしてではなく、血圧低下、運動パフォーマンスの向上、抗炎症作用、抗酸化力、さらには腸内環境の改善にまで寄与する“機能性野菜”としての地位を確立しつつある。
本稿では、ビーツの栄養組成、生理機能、科学的研究に基づく効能、調理法、保存方法、さらには医療・スポーツ・美容など多分野への応用について、最新の文献を基に包括的に解説する。
ビーツの栄養組成と生理活性成分
ビーツの可食部(根部)は水分が約88%、炭水化物が9%、繊維質が2~3%、タンパク質が1~2%、脂質がごく微量(0.1%以下)である。このような低カロリーかつ栄養密度の高い構成により、ダイエット中の食材としても適している。
とりわけ注目すべきは、以下のような生理活性成分である:
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ベタレイン(Betalain):ビーツ特有の赤色の色素成分であり、強力な抗酸化作用と抗炎症作用を有する。ベタレインはフェノール構造を持ち、過酸化脂質の抑制やDNA損傷の防止などに関与する。
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硝酸塩(Nitrate):ビーツに豊富に含まれる硝酸塩は、体内で一酸化窒素(NO)へと代謝され、血管拡張、血流改善、血圧降下作用を示す。
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食物繊維(特にペクチン):腸内細菌のエサとしてプレバイオティクス的に働き、腸内環境を改善する。
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ビタミンとミネラル:葉酸(ビタミンB9)、ビタミンC、鉄、カリウム、マグネシウムが豊富で、造血作用や筋肉機能維持に寄与する。
以下の表は、100gあたりのビーツの主な栄養成分を示したものである:
| 成分 | 含有量(100gあたり) |
|---|---|
| エネルギー | 約43 kcal |
| 炭水化物 | 約9.6 g |
| 食物繊維 | 約2.8 g |
| タンパク質 | 約1.6 g |
| 脂質 | 約0.1 g |
| 葉酸 | 約109 µg |
| ビタミンC | 約4.9 mg |
| カリウム | 約325 mg |
| 硝酸塩 | 約250~400 mg |
血圧と心血管系への効果:臨床研究からの証拠
近年の研究では、ビーツジュースの摂取による血圧降下作用が多数報告されている。イギリスのクイーン・メアリー大学による二重盲検無作為化試験(Kapil et al., 2015)では、高血圧患者に毎日250mLのビーツジュースを与えた結果、8週間後に平均して収縮期血圧が約8 mmHg、拡張期血圧が約4 mmHg低下したことが示された。
この効果は、ビーツに含まれる硝酸塩が唾液中の硝酸還元菌によって亜硝酸塩に変換され、最終的にNOとなって血管平滑筋に作用することで得られる。NOは血管拡張因子であり、血流の改善、血管内皮機能の正常化を促進する。
運動パフォーマンスと持久力の向上
ビーツジュースの摂取による筋持久力向上効果も注目されている。オーストラリアのエクササイズ科学研究所による研究(Bailey et al., 2009)では、被験者にビーツジュース500mLを与えた後の運動持久力が平均16%向上したという報告がある。
NOの生成によるミトコンドリア効率の改善や、酸素消費量の最適化が関与しているとされ、スポーツ選手の合法的なパフォーマンス強化手段としても広く利用されている。
抗酸化作用と抗炎症作用
ビーツに含まれるベタレインやポリフェノール類は、活性酸素(ROS)の除去、炎症性サイトカイン(TNF-α、IL-6など)の抑制に関与することが動物実験およびin vitro試験で示されている。
これにより、慢性疾患(動脈硬化、糖尿病、がん)の予防や、アンチエイジング、神経変性疾患(アルツハイマー型認知症など)における進行抑制効果が期待される。
腸内環境とビーツ:プレバイオティクスとしての可能性
ビーツには食物繊維が豊富に含まれており、腸内で**短鎖脂肪酸(SCFA)**の生成を促す。特に酪酸(ブチレート)は大腸上皮細胞のエネルギー源であり、炎症抑制、腸粘膜バリア強化、免疫調整に寄与する。
また、ビーツの色素であるベタレインの一部が腸内細菌により代謝され、抗菌性代謝産物を生成することも報告されている(Jurgonski et al., 2018)。
美容とビーツ:肌と老化防止への貢献
ビタミンC、鉄、葉酸、抗酸化物質を豊富に含むビーツは、コラーゲン合成促進、貧血予防、肌のターンオーバー正常化に貢献する。また、体内の炎症を抑えることで、ニキビやアトピーなどの皮膚疾患の軽減にも有用とされる。
抗酸化力の高さから、光老化や紫外線によるダメージの緩和も期待できる。
ビーツの摂取法と調理の科学
ビーツは加熱することでベタレインの一部が失われるが、蒸し調理やローストにより色素と栄養素の保持が可能である。ジュース、ピクルス、スープ(例:ロシアのボルシチ)、サラダ、焼き菓子(ビーツブラウニー)など、多様な調理法に適応する。
生のビーツは土臭さを感じやすいが、レモン汁やバルサミコ酢を用いることで風味が和らぐ。特に日本では、甘酢漬けや味噌和えとしてのアレンジも進んでいる。
保存と注意点
ビーツは冷暗所で2~3週間保存可能であるが、葉は傷みやすいため早めに調理することが望ましい。また、摂取後に尿や便が赤くなる**ビーツ尿(beeturia)**は無害であるが、鉄分過多の兆候を見逃さないよう注意が必要である。
腎機能障害のある人にとっては、シュウ酸含有量がやや高いため、摂取量を控えるべきである。
結論
ビーツは単なる赤い根菜ではなく、心血管の保護、運動能力の向上、抗酸化・抗炎症作用、腸内環境の改善、美容効果など多角的な健康効果をもたらすスーパー野菜である。科学的エビデンスに基づき、日常の食卓にビーツを取り入れることで、生活習慣病予防やQOL(生活の質)の向上につながる。
今後の研究では、ベタレインのメカニズムの詳細解明や、腸内細菌叢との相互作用、個別化栄養(パーソナライズド・ニュートリション)におけるビーツの役割が更に明らかにされていくことが期待されている。
参考文献:
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Kapil, V. et al. (2015). “Inorganic nitrate supplementation lowers blood pressure in patients with hypertension: a randomized, double-blind, placebo-controlled, phase 2 study.” Hypertension 65(2): 320-327.
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Bailey, S. J. et al. (2009). “Dietary nitrate supplementation reduces the O2 cost of low-intensity exercise and enhances tolerance to high-intensity exercise in humans.” J Appl Physiol 107(4): 1144–1155.
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Clifford, T. et al. (2015). “The potential benefits of red beetroot supplementation in health and disease.” Nutrients 7(4): 2801–2822.
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Jurgonski, A. et al. (2018). “Health-promoting properties of beetroot in relation to the gastrointestinal tract.” Food Research International 105: 71-83.

