文明

ローマ時代のエジプト文明

古代エジプトの文明は長きにわたって世界の注目を集めてきたが、特にローマ帝国の支配下におけるエジプトの社会的、経済的、文化的変化は、地中海世界における東西の架け橋としての役割をより鮮明にした。紀元前30年、クレオパトラ7世の死とともにプトレマイオス朝が終焉を迎え、エジプトはローマ帝国の属州「アエギュプトゥス」として組み込まれた。本稿では、ローマ支配下のエジプトにおける主要な文明の諸相を、政治、経済、都市構造、宗教、文化、教育、芸術、農業、交通の観点から詳述する。


ローマ支配の政治構造と統治体制

エジプトがローマの属州となった際、その統治は特別な形態をとった。ローマ皇帝が直接任命する「総督(プラエフェクトゥス・アエギュプトゥス)」が派遣され、軍事的、行政的、司法的権限を集中して保持した。これは他の属州とは異なり、エジプトが皇帝の私有領土とみなされていたことを示している。民衆の反乱や税の不服従を防ぐため、軍団が駐屯し、強固な行政網が敷かれた。

行政単位としてのノモス(県)はプトレマイオス朝から引き継がれ、地方の官吏によって統治されたが、最終的な権限は総督にあった。司法制度も整備され、ギリシャ語で行われる地方裁判と、ローマ法による上級審が共存した。


経済と税制:穀物輸出と財政的繁栄

ローマ時代のエジプトは、地中海世界における「穀倉地帯」としての役割を果たした。ナイル川の定期的な氾濫がもたらす肥沃な土地により、エジプトはローマにとって不可欠な食料供給地であった。特にアレクサンドリア港からは、毎年何十万トンもの穀物がローマへと輸出され、帝都の民衆の糧となった。

この輸出は、帝政財政の柱であった。農民には厳しい税が課され、小作農は収穫の相当部分を納税として提供しなければならなかった。これに伴い、穀物倉庫や運河、港湾施設が整備され、物流網が発展した。

項目 内容
主な輸出品 小麦、亜麻、パピルス、ガラス製品、香料
主な輸送経路 ナイル川 → アレクサンドリア港 → 地中海航路
課税方法 現物税(穀物など)および金銭税の併用
帝国への貢献度 ローマ市民の3分の1以上がエジプト産穀物に依存

都市と建築:アレクサンドリアの繁栄とローマ風都市の出現

エジプトにおける都市生活の中心は、アレクサンドリアであった。ローマ時代、この都市は引き続き学術・商業の中心地であり、ヘレニズムとローマ文化が融合した都市計画と建築が展開された。円柱とアーチ構造を特徴とするローマ建築様式は、神殿、浴場、劇場において顕著であり、都市の

Retry

Back to top button