チュニジアの南東部に位置する**「ガベス湾(خليج قابس)」**は、地中海の南岸に広がる湾であり、古代から現代に至るまで多様な経済的・生態学的・歴史的価値を持つ重要な地域である。この湾は、北緯約33度30分から34度30分、東経約10度から11度30分にわたって広がり、東はジェルバ島、西はスファクス地方に至る長さ約100キロメートルの湾岸線を形成している。以下では、この湾の地理的位置、歴史的背景、自然環境、経済的意義、環境問題、さらには持続可能性に向けた取り組みについて、科学的視点から網羅的に解説する。
地理的位置と地形的特徴
ガベス湾は、チュニジア共和国の南東部にある広大な湾で、サヘル地方と呼ばれる地域に属している。この湾は、地中海の中でもとりわけ浅く、遠浅の海岸線を有しているのが特徴である。潮の干満差が地中海では非常に珍しいほど大きく、最大で2メートル近くに達することもある。これは、地中海全体において唯一といっても過言ではない現象であり、干潟の形成やマングローブに似た生態系を育む原因ともなっている。

湾内の水深は非常に浅く、平均して10メートル未満であり、これは沿岸漁業や藻類の採取にとって好条件となる。南にはサブラー(塩湖)地帯が隣接し、北東にはジェルバ島という観光地でも有名な島が位置している。
歴史的背景と文化的側面
ガベス湾の地域は古代から人類の居住地として知られ、フェニキア人、カルタゴ人、ローマ人、ビザンチン人、アラブ人など多くの文明がここを通過し、影響を及ぼしてきた。古代ローマ時代にはこの湾は「タクラ湾」とも呼ばれ、重要な商業港として知られていた。海上交通の要衝として、スパイス、布地、オリーブ油、塩などの交易が盛んに行われていた。
イスラム化以降、この地域は「イフリーキヤ」と呼ばれる州の一部となり、海洋活動だけでなく内陸との交易拠点としても機能していた。オスマン帝国支配下やその後のフランス保護領時代にも、漁業と貿易は地域経済の中心を成していた。
自然環境と生物多様性
ガベス湾は、地中海沿岸で最も生物多様性に富んだ地域の一つとされている。湾内には広大な海草藻場が広がっており、特に**ポシドニア・オセアニカ(Posidonia oceanica)**という地中海固有の海草が繁茂している。この海草藻場は、水質浄化、酸素供給、生物の産卵場として非常に重要な役割を担っている。
湾内には約300種以上の魚類が生息し、その中にはマグロ、タイ、スズキ、イカ、エビ、カニなど商業価値の高い種も多く含まれている。また、絶滅危惧種に指定されている海亀(アカウミガメやヒラタウミガメ)がこの湾を通って産卵に訪れることも知られている。
さらに、沿岸部には塩性湿地、干潟、泥地、さらには砂丘が点在し、多様な鳥類の生息地ともなっており、渡り鳥の重要な中継地点として国際的にも評価されている。
経済的意義
ガベス湾は、地域住民の生計を支える多様な経済活動の拠点となっている。最も主要な産業は漁業であり、湾内の浅海域は沿岸漁業に適している。特に伝統的な「シャルカ」と呼ばれる木製の漁具を使った漁法は、この地の象徴とも言える。
さらに、湾周辺では藻類の採取が盛んに行われており、特に「ハルガ」と呼ばれる緑藻は、飼料や肥料として利用されるだけでなく、近年では化粧品産業や健康食品としての利用も注目されている。
加えて、ガベス市には化学工業地帯が存在し、リン酸塩や肥料の製造が行われている。これはチュニジア全体の輸出経済において重要な位置を占めているが、後述するように深刻な環境問題も引き起こしている。
環境問題と持続可能性への課題
近年、ガベス湾は深刻な環境劣化の問題に直面している。特に工業廃水や未処理の下水の排出、過剰漁獲、沿岸開発、気候変動などが複合的に作用し、湾の生態系が脅かされている。
とりわけ問題視されているのが化学産業によるリン酸プラントの廃棄物排出である。これは「レッドマッド」と呼ばれる酸性の産業廃棄物を含み、湾内の水質や海底環境に多大な悪影響を及ぼしている。この結果、藻類の減少、魚類の減少、生物多様性の喪失が観察されている。
また、過剰漁獲も深刻であり、特定の魚種は絶滅の危機に瀕している。さらに、気候変動の影響により、湾の水温や塩分濃度の変化、海面上昇などが新たな脅威となっている。
対策と保護活動
環境保全のための対策として、チュニジア政府および国際機関は様々なプログラムを展開している。具体的には以下のような活動が挙げられる。
分野 | 主な対策 |
---|---|
水質保全 | 工業排水の処理施設の導入、廃棄物の排出規制 |
生態系保護 | 特定区域の海洋保護区(MPA)への指定、藻場の再生プロジェクト |
漁業管理 | 漁獲制限、漁期の制限、持続可能な漁法の奨励 |
地域経済支援 | 環境に優しい観光の促進、藻類養殖技術の支援 |
また、地元の大学や研究機関が中心となって、湾内の水質調査や生物多様性のモニタリングが行われており、科学的データに基づく政策立案が進められている。
おわりに
ガベス湾は、単なる海域ではなく、チュニジアの文化、経済、自然を象徴する複合的な空間である。その豊かな海洋資源と生態系は、地中海全体でも稀有なものであり、同時に人類活動との共生の課題を提示している。持続可能な開発と環境保全を両立させることは容易ではないが、科学的知見と地域社会の協働を通じて、未来にわたってこの貴重な湾を守り続けることができると信じられている。
参考文献:
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Ben Mustapha, K., & Hattour, A. (2003). Biodiversity of the Gulf of Gabes. Institut National des Sciences et Technologies de la Mer (INSTM).
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UNEP/MAP (2005). State of the Environment and Development in the Mediterranean.
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FAO Fisheries Technical Paper No. 450: Gulf of Gabès artisanal fisheries and ecosystem.
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Hammami, S. et al. (2021). Pollution and marine biodiversity in the Gulf of Gabes. Environmental Monitoring and Assessment, 193(6).