上背部痛(上部背部痛):原因、診断、治療、予防に関する包括的解説
上背部痛、すなわち背中の上部(肩甲骨周辺や胸椎領域)に生じる痛みは、現代人の多くが経験する症状の一つである。デスクワークや長時間の座位姿勢、スマートフォンやパソコンの過度な使用、姿勢の乱れ、筋肉疲労、心理的ストレスなど、多岐にわたる要因が絡み合って生じる。本稿では、上背部痛の主な原因から、適切な診断法、治療法、予防戦略に至るまで、科学的かつ実用的な観点から詳細に論じる。

上背部痛の主な原因
1. 筋肉疲労および筋膜痛症候群(MPS)
上背部にある僧帽筋、肩甲挙筋、菱形筋などの筋肉群は、日常生活や仕事中に酷使されやすい部位である。長時間の同一姿勢や過度の負荷がかかることで筋肉が硬直し、血流が悪化し、痛みやこわばりが生じる。特に筋膜痛症候群(Myofascial Pain Syndrome)は、トリガーポイントと呼ばれる硬結を中心に放散痛を伴う。
2. 姿勢異常
猫背、前かがみの姿勢、巻き肩などの姿勢不良は、肩甲骨周囲の筋肉に不均等な負荷をかけ、慢性的な上背部痛を引き起こす。長時間のスマートフォン使用やデスクワークにおいて、無意識のうちに頭部が前方へ突出することで、頸椎から胸椎にかけての筋肉が常時緊張状態となる。
3. 胸椎椎間関節症および椎間板変性
胸椎(T1〜T12)は脊柱の中間部に位置し、可動性は頸椎や腰椎に比べて低いが、加齢や外傷による椎間関節の変性が上背部痛の原因となることがある。椎間板の変性により、神経根が圧迫されると、痛みが肩甲骨周囲や上腕に放散することもある。
4. 骨粗鬆症および椎体圧迫骨折
中高年以降、特に閉経後の女性において骨密度の低下が進行すると、些細な衝撃や荷重で胸椎の椎体に圧迫骨折が生じることがある。このような骨折は急性または慢性的な上背部痛を引き起こし、無症候性の場合もあるため、注意が必要である。
5. 内臓由来の関連痛
稀ではあるが、心疾患(狭心症・心筋梗塞)、肺疾患(肺炎・肺塞栓)、胆嚢疾患(胆石症)、胃疾患(胃潰瘍)などの内臓の病変が、肩甲骨間や上背部に関連痛として現れることがある。このような場合は、痛みの性質や随伴症状(息切れ、発熱、吐き気など)から鑑別する必要がある。
上背部痛の診断アプローチ
上背部痛の正確な診断には、問診、身体診察、画像検査、血液検査などが重要となる。以下に代表的な診断方法を示す。
診断方法 | 内容 |
---|---|
問診 | 痛みの部位、性質(鋭い・鈍い)、発症時期、悪化要因などを確認 |
身体診察 | 筋緊張、可動域、トリガーポイントの有無などを確認 |
X線検査 | 骨折、椎体変形、変性の有無を評価 |
MRI | 軟部組織(椎間板・神経)の評価、腫瘍や感染の除外 |
骨密度測定 | 骨粗鬆症の評価 |
心電図・胸部CT等 | 内臓疾患が疑われる場合に施行 |
痛みの性質が非特異的で、画像上にも異常がみられない場合、筋・筋膜性疼痛が疑われることが多い。一方、警戒すべき危険な徴候(red flags)が存在する場合には、速やかに精密検査を行う必要がある。
上背部痛の治療戦略
1. 保存的治療
多くの上背部痛は保存的治療により改善が期待できる。代表的な保存療法は以下の通りである。
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薬物療法:NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)、筋弛緩薬、アセトアミノフェンなどが主に用いられる。慢性痛には抗うつ薬や神経障害性疼痛薬が選択されることもある。
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物理療法:温熱療法、低周波療法、超音波治療などが筋緊張の緩和と血流改善に効果的である。
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運動療法:肩甲骨の可動域を広げるストレッチや、体幹筋を鍛えるエクササイズが痛みの軽減と再発防止に役立つ。
2. リハビリテーションと姿勢矯正
理学療法士の指導の下で行うリハビリは、上背部痛の根本的な改善に有効である。特に姿勢矯正トレーニングは、再発防止の観点からも極めて重要である。デスク環境の見直しや姿勢センサーの活用も推奨される。
3. 神経ブロックおよび注射療法
慢性的で難治性の上背部痛に対しては、トリガーポイント注射、神経根ブロック、ファセット関節ブロックなどが選択肢となる。これらは一時的な痛み緩和を目的とするが、根本治療と併用することでより効果的となる。
4. 外科的治療
椎間板ヘルニアや腫瘍、重度の椎体圧迫骨折など、特定の病態では外科的介入が必要になる場合もある。ただし、上背部痛に対する手術適応は慎重に判断されるべきであり、多くの場合は保存的治療が優先される。
上背部痛の予防法
予防戦略 | 説明 |
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正しい姿勢の維持 | 背筋を伸ばし、肩を後ろに引き、耳が肩の真上に来るようにする |
定期的なストレッチ | 肩甲骨まわりや背筋の柔軟性を保つストレッチを毎日行う |
デスクワーク時の工夫 | モニターの高さ調整、椅子の背もたれ活用、スタンディングデスク導入など |
休憩と姿勢変換の習慣 | 30〜60分ごとに立ち上がって軽い体操を行う |
適度な運動習慣 | 水泳、ウォーキング、ヨガなどで体幹や肩周囲の筋肉を強化 |
睡眠環境の見直し | 硬すぎないマットレスと適度な高さの枕を使用し、背中や首に負担をかけない |
ストレス管理 | マインドフルネスや深呼吸、瞑想により筋肉の緊張を軽減 |
上背部痛における生活の質への影響
慢性的な上背部痛は、日常生活、仕事の生産性、睡眠の質、心理的健康に大きな影響を与える。特に睡眠障害やうつ症状との関連も報告されており、痛みの緩和だけでなく、包括的なケアが求められる。慢性的な痛みを放置すると、「痛みの悪循環(Pain Cycle)」に陥り、さらなる機能低下を招くため、早期の対処が肝要である。
結論
上背部痛は単なる「肩こり」や「姿勢の悪さ」だけで片付けられるものではなく、筋骨格系、神経系、さらには内臓疾患まで多岐にわたる要因が存在する。そのため、表面的な痛みの緩和ではなく、原因に即した包括的かつ個別的なアプローチが重要となる。適切な診断と治療により、多くの患者が日常生活を快適に過ごすことが可能である。日常的な姿勢への配慮と運動習慣の継続により、予防も十分に可能である。
参考文献
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日本整形外科学会. 「頸椎・胸椎疾患に関する診療ガイドライン」.
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日本ペインクリニック学会. 「慢性疼痛に関する治療指針」.
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American Academy of Orthopaedic Surgeons. “Thoracic Back Pain”.
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Mayo Clinic. “Upper Back Pain: Symptoms and Causes”.
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Deyo, R.A. et al. (2001). “Back pain prevalence and health care use”. Journal of the American Medical Association.