古代から現代に至るまで、歴史の舞台として輝きを放ち続けた「ホラーサーン(خراسان)」という名は、今もなお多くの歴史学者や文化研究者にとって尽きることのない探究対象である。この地は、地理的に現在のイラン北東部、トルクメニスタン、ウズベキスタン、アフガニスタン西部に広がっていた広大な地域を指し、特定の都市ではなく、一つの文化圏、歴史圏としての「ホラーサーン州」や「ホラーサーン地方」として知られていた。よって、この記事では「都市」ではなく「地域」としてのホラーサーンを対象に、完全かつ包括的に分析していく。
ホラーサーンの語源と概念的枠組み
ホラーサーン(Khorasan、خراسان)という語は、ペルシア語で「日の昇る場所」または「太陽の出る地」を意味しており、ゾロアスター教文化が隆盛を極めていたサーサーン朝ペルシア時代において、東方を象徴する地として名付けられた。この語源は、地理的・文化的にイラン高原の東側に位置するこの地が、常に「朝日が昇る地」として認識されていたことに由来している。
歴史的背景:帝国の通過点から文化の交差路へ
サーサーン朝とホラーサーン
3世紀から7世紀にかけて栄えたサーサーン朝ペルシアにおいて、ホラーサーンは戦略的にも経済的にも極めて重要な地域であった。シルクロードの東西交易の要衝として、キャラバンサライ(隊商宿)が設置され、東アジアと中東・ヨーロッパを結ぶ交通路がこの地を貫いていた。
イスラム征服とアッバース革命
7世紀半ばにイスラム帝国が拡大し、ホラーサーンはアラブ軍によって征服された。ウマイヤ朝時代、この地は軍事拠点として整備され、さらに後のアッバース革命(750年)の起点としても歴史に名を刻んだ。ホラーサーン出身のアブー・ムスリムは、アッバース朝の創設に深く関与し、バグダードを中心とする新たなイスラム帝国の時代を切り開いた。
ホラーサーンの主要都市とその特徴
ニーシャープール(Nishapur)
ホラーサーンの中でも特に文化的・学術的に重要であったのが、ニーシャープールである。この都市はサファヴィー朝時代に至るまで繁栄を続け、詩人ウマル・ハイヤームの出生地としても知られている。イスラム黄金時代には天文学、数学、哲学、医学など多様な分野の学者が集い、知の殿堂としての役割を果たした。
ヘラート(Herat)
現在のアフガニスタン西部に位置するヘラートも、古代ホラーサーンに含まれる重要都市である。ティムール朝時代には文化と芸術の中心地となり、「ホラーサーンの真珠」と称された。美術、書道、詩の分野では、ペルシア文化を代表する作品がこの都市で誕生した。
メルヴ(Merv)
現代のトルクメニスタンにあるメルヴは、古代ホラーサーンの政治的中心の一つであり、セルジューク朝の時代には首都としても機能した。11世紀から12世紀にかけて、この地は中央アジアの中でも最も人口が多く、最も豊かな都市とされていた。
学問と宗教の融合:ホラーサーン学派
ホラーサーンは単なる地理的領域ではなく、特異な思想的枠組みを持つ地域でもあった。特にイスラム法学、スーフィズム(イスラム神秘主義)、哲学の分野では「ホラーサーン学派」と呼ばれる思想体系が形成された。ファフルッディーン・ラーズィーやイマーム・アル・ハラマイン・ジュウェイニーなど、後世に多大な影響を与えた神学者や哲学者がこの地から輩出された。
経済と交易の拠点
ホラーサーンは、経済的にもシルクロードにおける重要拠点であった。中国の長安からローマ帝国に至るまでの交易ネットワークの中間点として、陶磁器、絹、スパイス、書物、貴金属などが取引された。以下の表に、当時のホラーサーンで主要に取り扱われていた交易品とその供給元を示す。
| 交易品 | 供給元 | 用途・価値 |
|---|---|---|
| 絹 | 中国(唐) | 高級衣服、装飾品 |
| サフラン | ホラーサーン自体 | 香辛料、医療用途 |
| 書籍(パピルス) | エジプト | 学術・宗教用途 |
| 陶磁器 | 中国、サーマルカンド | 宮廷用品、輸出 |
| 青銅器 | ホラーサーンおよび北ペルシア | 宗教儀式、日用品 |
文化と芸術の伝播
ホラーサーンは単に物質文化だけでなく、思想・芸術の交差点でもあった。特にペルシア詩の分野では、フィルダウスィーによる『シャー・ナーメ』の影響は絶大であり、この作品を通じてホラーサーンの歴史的価値が不朽のものとなった。また、カリグラフィーやミニアチュール絵画の発展にも寄与し、多くの宮廷画家や書家がこの地から輩出された。
近代以降のホラーサーン
19世紀から20世紀初頭にかけて、ホラーサーンは西欧列強による「グレート・ゲーム(大博打)」の舞台ともなった。ロシアとイギリスの帝国主義的思惑の狭間で、地域の自治性は大きく揺らいだ。その後、イラン・アフガニスタン・ソビエト連邦により分割される形で、その統一的アイデンティティは地政学的に失われていった。
しかしながら、文化的アイデンティティとしてのホラーサーンは依然として生き続けている。イランの「ホラーサーン州」は現在、北ホラーサーン、南ホラーサーン、ラザヴィー・ホラーサーンの3つに分割されているが、それぞれにおいてこの地域の伝統文化が強く根付いている。
現代のホラーサーンにおける宗教と教育
特にラザヴィー・ホラーサーン州にあるマシュハドは、シーア派イスラムの聖地としての地位を確立しており、イマーム・レザー廟は毎年数百万の巡礼者を迎えている。この都市はまた、神学校、大学、研究機関が集中する知的中心地としても機能しており、現代においても「知のホラーサーン」という伝統を引き継いでいる。
結論
ホラーサーンという地域は、単に歴史上の古い地名ではなく、文化、学術、宗教、経済のあらゆる側面で中東・中央アジア世界の核を成していた。帝国の興亡を見届け、思想の泉となり、現代に至ってもなおその存在感を失わないこの地域は、世界史の中でも特異な位置を占めている。ホラーサーンは、時代を超えて輝き続ける文化的灯台であり続けるのである。
参考文献
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Bosworth, C. E. (1994). The New Islamic Dynasties. Columbia University Press.
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Barthold, V. V. (1962). Turkestan Down to the Mongol Invasion. E.J. Brill.
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Safaraliyev, M. (2001). Khorasan and Its Historical Geography. Tehran University Press.
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Lewis, B. (2002). The Middle East: A Brief History of the Last 2,000 Years. Touchstone.
このように、ホラーサーンは過去の遺産としてだけでなく、現在の文化的・宗教的リアリティとしても研究に値する重要地域である。
